四川省、楽山大仏、峨眉山、蜀の桟道の旅-15

蜀の桟道、明月峡
「やっと着いた」と喜んで、高速の出口に行く。料金所で運転手が何か聞いている。
「明月峡は修理中」と言っているようだ。
「あっちゃー。やっぱりか」
運転手は苦笑いしながら、Uターンしようとしている。
「ちょっと待ってくれ。行けるだけ行こう。ちょっとくらい垣間見できるかもしれん」
と強引に行ってもらうことにした。これで何も見んと帰るのはあんまりやないか。
ここからは殆ど地道だ。河原の近くを走る。通行止めがある。
その番人に聞いてみると、明月峡はやっているという。
「しめた。やっぱりきてみるもんや」
それで又、細い河原の道を奥に入って行くと、何だか工事現場のようなところに出た。
向こうの方に、明月峡らしき建物がある。
そこまで行くとどうやら修復作業を初めているようだ。
一旦桟道の壊れた材木を集めて修理して再構築するのだろう。
桟道も完全に崩壊したわけではなくて、かなり形が残っている。
立ち入ってはいけないのだろうが、立ち入り禁止にはなっていないので、そばまで
行って写真だけとらせてもらうことにした。
やはり前の地震はこのあたりにも大きな被害をもたらしたのだ。
その昔、蜀の国に行くため、険しい山を越え、河の崖っぷちにも貼り付けるように
道をつけた。三国志の時代の頃だ。その面影がすこしずつ残っているのを見に来た
のだが、この度の地震で無残にも壊れてしまったのだ。
しかし、今、こんなふうに壊れても形が残っている状態で見ておいてよかったとも
言える。次に来たときは、見た事もないような素晴らしい観光施設になっているだろう。
そして、大きな石をおいて、「蜀の桟道、明月峡」と赤い字で大書している事だろう。
決してそれが悪いと言うことではないけどね。
この辺りは何と言う河なのだろう。何れは長江にそそぐ大きな河が悠然と流れている。
河の向こうを見ると、高い崖の中腹を削って鉄道を通してある。
列車がゆっくりと通っている。
なかなか好いところだった。