四川省、楽山大仏、峨眉山、蜀の桟道の旅-03

楽山大仏へ
成都の街から楽山へは地図で見ると大体150、60kmある。しかし殆ど全てが
高速道路なので、快適だ。約2時間程でもう到着だ。
楽山大仏のある凌雲寺の門を入ると、すぐに、「楽」の文字があり、蘇東坡の銘がある。
蘇東坡の詩の「・・・酒を載せてつねに凌雲の遊をなさんことを・・」からとった
載酒亭がすぐそばにあるからだろう。
「なるほど」と思ったが、「呉船録」にすでにこの字は彼の字ではないと書いて
あるので何度も書き換えられてきたのだろう。
このあたりの様子は、南宋の名臣にして詩人の范成大が書いた、「呉船録」に
詳しくつづられている。彼が任地の成都から故郷の呉(蘇州)の国に帰る船旅の
記録だ。
・・・・
石段を登って凌雲寺に詣でる。寺の天寧閣に大仏がある。嘉州はあまたの河川の
合流地点であって、導江・沫水と岷江とがこの山下において合し南方犍為へ向か
って流れ下る。そして沫水は大渡河を合わせて雅州から来たり、まっすぐに山壁
につきあたるので、非常な急流となり航行にはきわめて危険な場所といわれる。
そこで唐の開元年間に僧海通が初めて山に弥勒仏像を刻んで鎮めとした。その高
さ三百六十尺、頭のまわり十丈、目の幅が二丈・・・・・・・
仏足は江からわずかに数歩の距離にすぎず、驚濤怒号しわきかえりつつその前を
流れていて・・・・・
東洋文庫、「呉船録・・」より。
さすがに河は当時の荒々しさはないが、高さ80m程の大仏は、3江の怒りを鎮める
役割を十分に果たしてきたのだろう。
遠くに峨眉山を望み、三江の急流が合わさる地の小高い丘の岸壁に巨大仏が彫られ
ている様は将にこの書に書かれているそのままだ。
ただし、大修復があったのだろう。お顔は綺麗に塗りなおされている。
一旦、頭のある山上まで行き、そこからお顔の横にある急な石段を一気に足元まで
下りるのだ。
なるほど急流は目の前だ。