水墨画留学の時の杭州暮らしをコロナ妄想的に振り返る話が続く。
香積寺がわからない。
さて、次は「香積寺」。
王維が詩にも読んだ名刹だ。
さっきも思ったけど、この人たちは、あんまり歴史的な観光地の場所に詳しくないんとちゃうやろか?
それともわしらが行きたいとこが特殊すぎる?
いずれにしても、えらく迷ってる。残念ながら、今みたいにスマホでピピッとナビができる時代ではなかった。中国では昔から、カーナビを使う人がとても少ない。なぜかわからんけど、全く普及してない。その代わりかなんか、スマホでナビができる時代になったら、ほとんどの人がスマホのナビゲーションを利用してる。なんかわからんけど、国民性なんかなあ。
似たようなことで言えば、中国でクレジットカードってあんまり流行ってないし、使う人もわしらみたいな外国人が多かったし、あんまり使い勝手がええって思えんかって、中国の人は現金決済が好きやって聞いてたけど、スマホが流行って行き渡ってしまったら、あっというまにスマホ決済が、いつでも、どこでも、だれでもやってるという状態になってしまった。
そこまでスマホに依存してええんかなあって思わんでもないけど、わしらよりずっとすすんだデジタル暮らしを謳歌してはるではないか。
それはともかく、彼らは行き先をまったく分かってなくて、やみくもに走ってる。
しきりに携帯で誰かに聞いてるけど、わからんみたい。
道行く人にも聞いてる。 あんまい知った人には出会わへん。
そのうち、わしが案内してやるという人が現れた。
教えたるから車に乗せろという。「いいか?」、「もちろん」
ところがこれがとんだインチキおじさん。自分の行きたいとこまでいって、さっさとどっかへ行ってしまった。ヒッチハイクに使われただけだ。
こんな人にも時々であう。車をチャーターして旅してたら、道案内するから、乗せてくれというのだ。本当に困ったときにとても助かったこともある。
今回は、大外れ、面白い国だ。
それにしても、なんで、道がわからんで困ってるってわかったんやろ?
そういう嗅覚はすごいなあって思う。
これで、ドライバーも困ってしまった、とうとうわしに向かって、
「いったいどこにあるんや?」と聞いてくる。
「そんな知ってるはずないやろ!」
こっちかってキレそうになる。「ええかげんに見つけてくれっ」
まあ、なんだかんだで、結局は近づいてきたらしい。
また、農地の真ん中、公道からはえらい奥まったところにある。
なんだか、このあたりのお寺は不便すぎるとこにある。
香積寺についた。
やっと香積寺についた。
先ほどの、草堂寺にもまして、立派な寺だ。
階段をのぼると、壮大な伽藍が現れる。
あちらこちらにお堂がある。鼓堂がある。
仏舎利塔って、これが中国の古い寺って雰囲気をつくってるやつだ。
ここは、浄土宗の開祖みたいなとこらしい。
さっきの草堂寺とおなじように中国らしくない、地味で控えめな静かな寺院である。
日本の浄土宗のお寺もこことは縁が深いのか、いろんなつながりで援助したりしてるらしい。
そんな繋がりはいまではどうなってしまってるんやろ。
日本には香積寺と名前のついた寺がけっこうあるけど、関係があるんかどうか、ここの流れを汲むという意味なんかどうか、わしは知らん。
ここは実働してる修行寺みたい。
時々みかける修行僧が勉強してる姿がとても印象的だった。
王維の詩。
王維はこのあたり、南の方に見える終南山(一つの山ではなくて地域名みたい)に別荘をかまえて、書画をものしたり、詩作をしたりと文人暮らしをしてはったらしい。
こんなやつだ。
香積寺を過う 王維
知らず 香積寺 数里 雲峰に入る
古木 人径無し 深山 何処の鐘ぞ
泉声 奇石に咽び 日色 青松に冷かなり
薄暮 空潭の曲 安禅 毒龍を制す
:岩波書店 中国詩人選集 「王維」より
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香積寺の地図。