122、西安の旅、草堂寺へ。

水墨画留学の時の杭州暮らしをコロナ妄想的に振り返る話が続く。

 

草堂寺に向かう。

鳩摩羅什の草堂寺だ。行きたい。

西安市内から南東方向にザクっと30kmくらい行ったところにあるらしい。

まず、市内の渋滞を抜けるのが大変だった。

どこもかしこもえらい混んでる。まっすぐ南東に突っ込むんやなくて、環状高速みたいなとこに一旦出てからぐるっとまわって抜け出す。

抜けてからは郊外の道をまっしぐらに走れる。わりと快適だ。

それでも3時間近くかかってる。さあ、もうすぐだ。

でも、なんだかぐるぐる回ってる。

「もしかしたら、行き先、分かってないんとちゃうやろか?」

しきりに電話して、なんか聞いてる。

「さっき、看板みえたで」って言うても無視して突っ走る。

やっぱり無いんでまた戻る。「言うたやん。看板あったって」

やっと納得して、田んぼの中に入っていく。

そのずっと奥に、お寺があった。やっと見つかった。

 
あじあん

鳩摩羅什の草堂寺。

鳩摩羅什は亀茲国(キジコク、今の新疆ウイグル自治区クチャのあたり)の出身。玄奘三蔵よりはるか前に仏典の本格的な翻訳で活躍した人らしい。中国仏教の大貢献者の一人という。

亀茲国の偉いさんでありながら、中国に侵略されて、連れて行かれた。しかし、出来がよすぎて、時の王様のアドバイザーになってしまって、あまりに役に立つんで、無理やり還俗させられて嫁をあてがわれ、帰れなくなったしまったのだそうだ。

出来がええのも考えものなのだ。

かれが、当時の都、長安で、翻訳作業をしていたのが、この寺ということだ。

 

 

 
あじあん

草堂寺に来てみれば。

遠くから見たら、田んぼの中にひっそりとある、鄙びた寺院とおもってしまった。

近くでみれば、こはいかに。

えらい立派なお寺ではないか。

本格的な伽藍を備えた大寺院だ。

よく七堂伽藍なんて言われるけど、じっさい、それだけあるんかどうか知らんけど、広い寺院であることはたしかだ

中国の寺院によくあるように、道教と一緒くたになってしまってて、

えらくけばけばしい、

仏様や神様があっちにもこっちにも、

というのとはちょっと違ってて、

日本の寺院を思わせる雰囲気である。

日本の日蓮宗とも関係があるらしく、そういう看板もあったなあ。

それにしても参詣客が多い。

中国ってこんなに仏教徒がいてたんやろか?

ここはいまでも現役の修行場らしい。

そういう人たちも見受けらる。

これが鳴ったら飯のじかんだ。

てなことでおさらばする。

 

 


“"



 
あじあん

終南山が見えた!!

おおっ! もしかしてこれがあの終南山か?

あの王維の別業があったところ>

行きたいなあ。

しかし???

無理やろなあ。

草堂時の地図。

 

あじあんじゃんくしょん
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