水墨画留学の時の杭州暮らしをコロナ妄想的に振り返る話が続く。
草堂寺に向かう。
鳩摩羅什の草堂寺だ。行きたい。
西安市内から南東方向にザクっと30kmくらい行ったところにあるらしい。
まず、市内の渋滞を抜けるのが大変だった。
どこもかしこもえらい混んでる。まっすぐ南東に突っ込むんやなくて、環状高速みたいなとこに一旦出てからぐるっとまわって抜け出す。
抜けてからは郊外の道をまっしぐらに走れる。わりと快適だ。
それでも3時間近くかかってる。さあ、もうすぐだ。
でも、なんだかぐるぐる回ってる。
「もしかしたら、行き先、分かってないんとちゃうやろか?」
しきりに電話して、なんか聞いてる。
「さっき、看板みえたで」って言うても無視して突っ走る。
やっぱり無いんでまた戻る。「言うたやん。看板あったって」
やっと納得して、田んぼの中に入っていく。
そのずっと奥に、お寺があった。やっと見つかった。
鳩摩羅什の草堂寺。
鳩摩羅什は亀茲国(キジコク、今の新疆ウイグル自治区クチャのあたり)の出身。玄奘三蔵よりはるか前に仏典の本格的な翻訳で活躍した人らしい。中国仏教の大貢献者の一人という。
亀茲国の偉いさんでありながら、中国に侵略されて、連れて行かれた。しかし、出来がよすぎて、時の王様のアドバイザーになってしまって、あまりに役に立つんで、無理やり還俗させられて嫁をあてがわれ、帰れなくなったしまったのだそうだ。
出来がええのも考えものなのだ。
かれが、当時の都、長安で、翻訳作業をしていたのが、この寺ということだ。
草堂寺に来てみれば。
遠くから見たら、田んぼの中にひっそりとある、鄙びた寺院とおもってしまった。
近くでみれば、こはいかに。
えらい立派なお寺ではないか。
本格的な伽藍を備えた大寺院だ。
よく七堂伽藍なんて言われるけど、じっさい、それだけあるんかどうか知らんけど、広い寺院であることはたしかだ
中国の寺院によくあるように、道教と一緒くたになってしまってて、
えらくけばけばしい、
仏様や神様があっちにもこっちにも、
というのとはちょっと違ってて、
日本の寺院を思わせる雰囲気である。
日本の日蓮宗とも関係があるらしく、そういう看板もあったなあ。
それにしても参詣客が多い。
中国ってこんなに仏教徒がいてたんやろか?
ここはいまでも現役の修行場らしい。
そういう人たちも見受けらる。
これが鳴ったら飯のじかんだ。
てなことでおさらばする。
終南山が見えた!!
おおっ! もしかしてこれがあの終南山か?
あの王維の別業があったところ>
行きたいなあ。
しかし???
無理やろなあ。
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草堂時の地図。