コロナ日和の日々、妄想の旅に出る。麗江、シャングリラの旅−20。普達措国家公園終了。

普達措国家公園終了。

さて、あるていどお腹が満たされた。不思議なことに歩くのが少し楽になってきた。
ときどき深呼吸するけど、ひっきりなしにハーハーするわけでもない。
頭の痛さも深刻ではなくなってきた。少しは慣れてきたんかもしれん。
トボトボ歩きからソロソロ歩きに変わってきたみたい。
こういう風に湖の畔をそぞろ歩くというのはとても良い。
上高地の大正池や明神池みたいなもんかなあ。
ネパール、ポカラのフェワ湖みたいなもんかなあ。
ちょっと違うなあ。
あっちは、穂高岳連邦やヒマラヤ山脈みたいな圧倒的な山の風景があって、
その麓にある瀟洒な景色、あるいはそこに映った山の美しさなんかが一体と
なっている。
又、他には、台湾の日月潭や中国、ウルムチにある天池みたいに湖そのものが
圧倒的な風景のところもある。
ここでは、そういうモノとは又違う。
華やかな、存在感を見せる目立ったモノは殆どない。
ただひっそりと湖がある。深い深い静けさがある。

時々、小さな牧場があって、小さな家がある。
時々、木の橋がある。
時々、向こう岸にい森が見える。その森が水面に映って美しい。
時々、手前の木々を通して向こうが見える。それがとても美しい。
時々、水面に枯れ木が集まったりして風景に変化を与えている。
あんまり鳥は飛ばない。
あんまり魚は跳ねない。
とても良い感じだ。
そのうちに遊歩道の一番奥まで行き着いたようだ。
ここからは戻るしか無い。
苦しいながらも少しましになってきてるんで、ちゃんと最後まで来れた。
すんなり元に戻れる。
結局最後まで酸素を売ってるとこには出会えなかった。やっぱり最初に買っておけばよかった。
ご飯を食べるとこも、あの屋台しかなかった。
要するにほとんど何もないとこだったのだ。
こういう何もない原生林はいつまでも開発しないで大事に保護、保存してほしいものだ。
てなことで、また電気自動車に乗って入り口に戻る。
不思議なことに呼吸はさっきより更に良くなってる。頭の痛さも軽減された。
それほど高低差を移動したわけではなさそうなのに不思議な事だ。
そこからは待ってもらってたタクシーに乗ってシャングリラの街に戻る。
やっぱり何もない街やなあ。
日本の過疎化した田舎の町みたいだ。
さて、どこに行こう。

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ありがとうございました。