さてお腹が満腹で紹興酒もたっぷり飲んだ。気持ちが良いんで動きたくない。
けど後一カ所だけ行くとこがある。行かんでもええんやけどガイドさんには、
行くと指示してしまってるからしょうが無い。王羲之の蘭亭だ。
もし本まもんが残ってたらたいしたもんだ。何としても見とかんとあかんの
やけど、今あるのは何もないところに、このへんやったらしいでと建てた真
っ赤なニセモノなのだ。
杭州に短期留学してた時に、同窓やった女性の書道家の方が、日本に帰って
も書家の世界は保守的でちゃんと勉強できへん。折角の機会やから、もうち
ょっと勉強していくという事で、この蘭亭の近くの書道の大学に入学された
のだ。人里離れた学校の中で学生寮暮らしの勉強三昧の生活をされるという
事だった。今でも居られるのかどうか連絡をとってないんでわからへんけど
たいしたもんだ。えらいもんやなあって思う。
まあ、それはええとして、わしらは、その偽もんでも見て、少々あやかった
らもしかしたらちょっとだけでも字がうまくなるかも知れへん。
そろそろ着いた。
入り口の雰囲気は悪くない。
けど、前より更に新しい。
鵞池の石碑。石碑自体は古いものだと思う。
石碑に合わせて池を作って、鵞鳥を泳がせている。
鵞鳥はなんも知らへん。
これが蘭亭の石碑。
元々のもんではないんやろけど、明、清の頃のやつを文革で壊されかけて、
地中に埋めて守ったらしい。
最初に来たときはこれだけがあったんちゃうやろか?
これが曲水の宴のそもそもの始めのやつだ。
この宴の事を書いた蘭亭序が書聖王羲之の誕生なのだ。
今は写本しか残っていない。本物は唐の太宗皇帝がえらく気に入って自分が
死ぬときに一緒に焼かせてそうだ。
ここが本堂?
こんなん、前にはなかったけどなあ?
どうでもええけど雨が強くなってきた。
曲水の宴の模様が描かれてる。こんなんも初めてみるなあ。何を元に復刻し
たんやろ?
ここの曲水の宴が元であちこちに曲水の宴の疎水が出来てるし、絵も沢山描
かれてたのだ。
あの向こうにある「大」の字。
・・・・
王羲之の息子、王献之が「大」の字を練習してて上手にできたやんかと父に
見せた。父は黙って点を付けて、「太」にしたらしい。
その「太」の字を母に見せたら点が上手に書けたねって褒められたという話。
ガイドさんが笑い話として一生懸命教えてくれた。
笑うまでに時間がかかった。
「ほんまかいな?」
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ありがとうございました。