131、西安の旅、大唐西域記の地。

水墨画留学の時の杭州暮らしをコロナ妄想的に振り返る話が続く。

 

敦煌には行ったことがある。

大雁塔を見ながら、玄奘三蔵の像なんかを見てると、ああやっぱりここは西域旅行の起点なんやなあって思う。

そういうモニュメントが確かあったはずやけど、今回の予定には入ってない。

街の中はイスラム料理店だらけなんのもうなずける。

杭州で見てる中国とはえらい違いだ。

ここから一番近い西域名所、敦煌には行ったことがある。

大唐西域記の地図によれば最初はたしかにこちらに向かってるけど、もう少し北を進んでいったらしい。

敦煌には帰りに寄ってる。

中国の勢力の及ぶ地なんで、止められるのを恐れたのではなかろうか。

こっそり横を抜けて、高昌故城に向かってる。

敦煌には有名な莫高窟だけでなくて、「玉門関」がある。

西に向かう、関所であり、軍事拠点でもあったところだ。

敦煌しないからタクシーに乗って片道2時間ほどやったかな?

砂漠の中の一本道をどこまでもまっすぐ進む。とても不安になるような道であった。

荒涼とした土塊のなかに玉門関があった。

左手に行ったら、「チャン・イー・モー」の映画にでてきた砂漠の決闘の場所に行ける。

そして、やっぱり軍の基地みたいなとこがあった。今でも重要拠点なんやろね。

敦煌に戻って、「月牙泉」も見に行った。

その砂漠でラクダに乗ったら、ラクダの背中ってとても硬いのだ。

しかも結構意地悪、すきあらばわしを振り落とそうとしてるみたい。おかげで尾てい骨がズルズルになってしまった。えらく痛かった。

 

 

 
あじあん

ウルムチ・トルファンに行った事がある。

それから何年かしてウルムチ、トルファンにも行った。

ここは西域真っ只中であった。

ウルムチからトルファンに向かう砂漠の真っ只中に、「火焔山」があった。

なるほど、これが火焔山か。

孫悟空の世界だ。

いやはや、暑い、暑い。やっぱり火焔山。

そっから、砂漠を走って、高昌故城に着いた。

玄奘の頃の一大都市も跡形もない。

何年もここに滞在して、定住するよう勧められた土地だ。

繁栄の跡形もなくなって、土に還るとはまさにこのことだ。

三蔵法師は、ここでのぬるま湯生活をかなぐりすててとうとうインドに向かったとさ。

ここからのインドの旅って、凄まじいもんやったと思う。

なんせ、パミール高原を迂回して、ずっとパキスタン、アフガニスタンのあたりを通って、ぐるっと回っての旅だ。バーミアンも通ってるらしい。

いつか、こういうあたりをなぞる旅ができたらええのになあって思う。

 
あじあん

西安、大雁塔。

西安は昔も今も、東西の人の暮らしがぶつかるエキゾチックな街なのだ。

李白の「少年行」の世界。 五陵の 年少  金市の東, 銀鞍 白馬  春風を 度(わた)る。 落花 踏み盡して  何處にか遊ぶ, 笑ひて入る  胡姫の 酒肆(しゅし)の中。

嬌声とざわめきが目に浮かぶようですなあ。

敦煌に行ったときには、玉の盃を買って帰った。

こんな気分に浸りたくて。

葡萄の美酒、夜光杯。 飲まんと欲すれば琵琶馬上に催す。 酔いて沙場に臥すとも君笑うこと莫れ。 古来征戦幾人か帰る。 王翰、「涼州詩」。

何に浸っても酒の味は、酒の味。

大慈恩寺の前は雨が降りしきっている。

 

 

白馬も胡姫もいてへん。

象さんがいてる。

昔の賑わいは、昨日飯食ったあたりなんかな?

今晩も行ってみんとあかんなあ。

でも、イスラム街ではなく、普通の街の中を歩いたら、ごく普通の中国の街で、ごく普通の中国に人たちで賑わってる。

この違いが面白いなあ。

大雁塔の地図。

あじあんじゃんくしょん
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