水墨画留学の時の杭州暮らしをコロナ妄想的に振り返る話が続く。
雨中に興慶宮公園。
さて、文字ばっかり見ててクラクラしてきた。ここはおさらばして、少し東の方にいく。
興慶宮公園というところだ。
玄宗皇帝が政務をとった宮殿跡を史跡公園にしたところだと言う。
なんていうてもここは長安の都。昔は世界一とも言われた繁栄の都市だ。
歴史上の人物が沢山でてくる。
とは言え、ここはピカピカの新しい建物ばかり。とても中国的だ。
そのわりには、この大雨で増水して、通路は水浸し。
わしは、作戦が功を奏して素足にサンダルやからずんずん歩く。
友人たちは、靴のまま爪先立ちでツンツン歩くけど、辛抱たまらんみたい。
水捌けが悪いのか、それをうわまわる大雨なのか。
おや、ダンスですか? タンゴですか?
入り口の門の屋根の下で、ダンスの練習をしているのが見える。
公園ではよく見る風景だ。
雨やから屋根の下に避難してる?
ようみたら、本格的やんか。あれってタンゴとちゃうの?
顔だけ正面向いて、カクッ、カクッと仕草を決めながらサッとターンしてる。
それちゃう、そこはこうすんねん! と先生の厳しい声が飛んでる。
へえ、こんなとこで本格的なダンス教室か?
それはええけど、なんでこんな大雨の日にわざわざここで練習せんとあかんのやろ?
疑問は尽きないけど、わからん。
わしには目的がある。興慶宮を見たいわけではなくて、ここに「阿倍仲麻呂」の記念碑があると聞いた。
それを探したいのだ。
これは沈香亭。
玄宗皇帝と楊貴妃が牡丹の花を愛でたところらしい。
当時はその名の通り、香木、沈香で作られていたというから凄いもんだ。とても良い香りがしたことだろう。
今はただのコンクリート。その前に竜池というのがあって、今も大きな池があるけど、そこには龍が棲んでいたらしい。知らんけど。
李白の詩はこんなやつだ。
名花、傾國、両つながら 相歓び、
長(とこしえ)に君王の 笑いを帯びて看ることを得たり
春風の無限の恨みを解釈して
沈香亭北 闌干に倚る
えらいさんの命令やから、よいしょして詠わんとしょうがない。
李白は酔って寝てる?
李白の像もある。
しかし、肝心の仲麻呂さんの碑がわからへん。
「阿倍仲麻呂」を訪ねる。
売店があったんで、店員に聞いてみる。
「あっちの方」って指差す方に行ってみるけど全然見当たらへん。
その辺で、写真撮ってたカップルに聞いてみる。
「知らんなあ、あっちとちゃう?」自信なさげだ。
言われた方に行ってみるけど全くちがう。公園はとても広い。闇雲に歩いてみるけどわからへん。
疲れてきた。
掃除の人に聞いてもわからへん。というか適当な方向を言うけど、そこにはない。
困り果てた。もう諦めようか。
でも幸い雨も小降りになってきた。
公園の何かの史跡的な四阿のベンチでクラシック音楽の練習をしてるカップルがいたんで、聞いて見る。やっぱり知らんという。そのやりとりを聞いてた青年がいて、「ああ、それか、知ってるで、案内したろか」
と言うことで、連れて行ってくれた。天の助けだ。
と思ったら、その青年の記憶もあやふやだったらしい。
わからんようになって聞いている。
でもさすが、ネイティブで聞いたら、見つかるもんだ。
やっと辿り着いた。
ありがとう。
なるほどこれか。
こんな風に何百年も前に日本人がここに来て、才能を認められて、大臣にまで上り詰めた人がいる。
雨のせいか、なんだか感動してしまう。
かの有名な詩人李白も彼が帰国しようとして遭難して死んだと聞いて追悼の詩を書いている。
晁卿衡を哭す 李白 日本の晁卿、帝都を辞す 征帆一片、蓬壺を遶(めぐ)る 明月帰らず、碧海に沈む 白雲愁色、蒼梧に満つ
実際は死んでなかったけど、それほどまでの人物がいたのだ。死んだのはその後の話。
実際は、そこまでの親交はなかったとか諸説あるみたいやけど、まあええやんか。
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興慶宮の地図。