128、西安の旅、空海の青龍寺跡を訪ねる。

水墨画留学の時の杭州暮らしをコロナ妄想的に振り返る話が続く。

 

雨の青龍寺跡。

さて、結構広い道路脇に車を停めて、着いたから降りろという。

「えっ、ほんまにここなん?」 びっくりした。

何年か前にきたことがあって、その時はただの塀があっただけ、今、目の前にあるのは、巨大な門だ。

おおきな階段を登っていかんとあかん。

しかも道路からその階段の下までは、増水してかなりの深さがある。ジャボジャボ渡っていかんと行かれへん。やっぱりわしの作戦が功を奏するではないか。短パンにサンダル。ジャブジャブ行ってもなんの問題もない。友人たちはとうとう靴を脱ぐ羽目に。

それにしてもえらい雨やんか。

階段を上がったら、普通の塀が見えた。

前に来た時は、この塀のところにえらい沢山の人が行列してはった。青龍寺を見たいというんではなくて、ここの桜が有名で、花見客の行列やったみたい。

中国で桜ってほとんど聞いたことがないんで、きっと日本から持ってきたんやと思う。

青龍寺遺跡の紹介看板がある。

「662年観音寺として設立、711年青龍寺と改名された。青龍寺は唐代の仏教真言の道場の一つで、日本の空海が日本からやってきた恵果大師の教えを受けた。帰国後は日本の文化、芸術に多大の影響を与えた」みたいなことが書いてある。

 

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あじあん

李商隠の「楽遊原」。

それはそれとして、同じ文のなかに李商隠という詩人の「楽遊原」の事が出てきて、その詩に読まれた場所がここだみたいなことも書いてある。

なるほど、中国の人にとっては、「空海」さんよりは、こちらの方が馴染みが深いんやろね。

わしは、李商隠の詩は大好きだ。

とても耽美的でとても美しい。

「楽遊原」って、こんな詩だ。

晩に向(なんな)んとして、意(こころ)適わず 

車を駆りて古原に登る 

夕陽、無限に好し 

只だ是れ 黄昏に近し 

この詩人は中国では、文化人として評価が高いんかもしれん。

例えば、昔見た「ロングディズジャーニー~この夜の涯てへ~」って映画、とてもよかったけど、そのパンフレット冒頭のチェン・カイコーの賛辞の中にも「李商隠」の詩の世界のようなとあった。

中国人なら誰でも知ってる有名な詩人なんやね。

 
あじあん

恵果空海記念堂。

それはさておき、わしらは「空海」さんの方が大事だ。

門を入ったら、「恵果空海記念堂」みたいなとこに自然に進んでいく。

これって、多分、ほとんど日本からの資金で建てたんやろなあって思う。

壁画というか、石碑は空海が恵果に学び、伝法灌頂を得て阿闍梨の位を授けられる物語を記したものとか、

それにまつわる有名な詩文を石碑にして奉納したものとかではなかろうかと推察される。

知らんけど。

やたらいっぱいある。

 何がなんやらようわからん。

特に説明はない。

 

 関係あるやら、ないやら。

ええか加減あきてきた。

 

 もうええとしょう。 

 

こんなやつの拓本って売ってたらええのにと思うけど見当たらへんかった。

 

 

 
あじあん

空海の顕彰碑?

外に出たら、空海さんの顕彰碑みたいなのが建っている。

やっぱり日本人はこちらに思い入れがある。

これを見にくる中国人はほとんどおらへんやろね。

それでもちゃんと史跡にしてくれてるとこがありがたい。

これってなんやったんやろ?

てなことで、青龍寺見学はおしまい。

青龍寺の地図。

あじあんじゃんくしょん
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