119、西安の旅、楊貴妃の華清池に行く。

水墨画留学の時の杭州暮らしをコロナ妄想的に振り返る話が続く。

本日の観光に出発。

さて、お迎えが来た。

今回は、ツアーとかではなくて、中国人の友人に頼んで、チャータ車を手配してもらっている。

事前に行きたいところを言っておいて回ってもらうのだ。中国の場合、こういうのはかなり安価である。ただし、正規かどうか、正規ってあるの?ってことを含めてようわからん。多分、問題が起きたら自己責任の世界なんやろ。

一応時間通りに来はった。

さて、西安の旅が始まった。

華清池。

さて、行き先は華清池だ。

西安市から北東にほぼ1時間くらい。すぐに着いた。

驚いた。

ここには、この時からさらに数年前に来たことがあった。

びっくりした。えらい変わってる。変わりすぎやんか。遠くからみただけでも一目でわかる変わり様。

前来たときは、ほぼ草ボーボー、建物なんかほとんどなかった。簡単に言えば、廃墟に近い状態だったように思えた。

それが今はどうだ。

えらい立派な御殿が建ってるではないか。

それも一つや二つではない。東屋に御殿、御殿が並んで、まるでテーマパークみたいになってる。

石碑もいっぱいあるし、(こんなんなかったで)。

様変わりだ。

楊貴妃の華清池

華清池と言えば楊貴妃、楊貴妃と言えば華清池。

かの白居易の詩「長恨歌」にも出てくる。

玄宗皇帝と楊貴妃の壮絶な純愛の物語。聞くだに恥ずかしいほどの大層な二人の絆。

それが国を滅ぼしたと言う。

 

 

その詩の中に、華清池の場面がある。

春寒くして浴を賜う華清の池  温泉の水滑らかにして凝脂に洗ぐ

色白の別嬪さんのむっちりお肌に温泉のお湯がさらりと流れる。

てなことで、ここは有名な温泉地だったのだ。

前にこんなんなかったとおもうけど、いつのまにか、温泉的な史跡跡ができている。

さすが、史跡でもなんでも、前からあったかのように造り出すのがすごいなあっておもう。

石碑なんどもたくさん、沢山。

すごいテーマパークになったもんだ。

 

“"

 

西安事件、蒋介石の華清池。

華清池にはもう一つの顔がある。

まだ国民党が大陸で元気だった頃、その軍事委員長だった蒋介石を、当時最強と言われていた東北軍閥の親分、張学良(張作霖の息子)がここで拉致監禁したという事件だ。

「西安事件」というらしい。

wikiなどを見れば詳しいことがわかる。

国民党の内紛と言ってみればそれまでやけど、これで中国の状況も大きく変わったのではなかろうか。この事件をきっかけにかどうか、中国共産党が息を吹き返したのかもしれない。

今の中国政権にとってどう評価されてるのかわしには難しすぎてわからへんけど、前に来たときにはそういう記念施設みたいなのがあった。

今は、楊貴妃に押されて、どこにあるかわからへん。

まとめ。

華清池は有名な温泉地だったということで、沢山の御殿は、皇帝やらの浴場を復元したものらしい。なんもなくなってても、ちゃんと創ってみせるとこがえらいもんだ。

国を滅ぼした皇帝と妃であっても白居易のおかげで後世の宝になったしまった。

西安事件の記念館は「五間庁」として公開されてるみたい。

この事件の張本人張学良や楊虎城は、中国人同士で内戦してる場合やないで、共に敵(日本軍)と戦うべきやと言うただけやのに、後に捕らえられ、軟禁されたり、殺されたりしたらしい。

歴史はいつも難しい。

華清池地図。
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あじあんじゃんくしょん
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