コロナ日和の日々、妄想の旅に出る。麗江、シャングリラの旅−21。チベット寺院があった。

チベット寺院があった。

さて、原生林のある公園から市街地に戻った。といっても田舎の町だ。特に何かが
ある風でもない。
それでも折角やからどっかに行って見たい。
それでも高山病症状は先程よりはましではあるけどあんまり気分はよくない。
それでも運転手さんにどっか市内観光に連れて行ってくれと頼む。
そえではと、チベット寺院の見えるあたりに連れて行ってくれた。
はるか、丘の上にそれが見える。

とても大きくて荘厳ではないか。まるでチベットのポタラ宮みたいだ。
と、いかにもボタラ宮を見てきて知ってるみたいに言うけど、残念ながらチベットは
まだ行ったことがない。
けど、ネットの写真なんかで何度も見ていて、行きたいなあって思ってはいるけど
機会がない。機会があっても行かへんかもしれん。政治体制が気になるなあ。
さて、それはええけどでは、行ってみるかといわれた。
どうしょうかなあ、行ってみたいと思う一方、あの丘の上まで登るのはどうなんやろ?
殆ど高度差がないみたいやったあの原生林の公園でもあんだけしんどかったんやから
ここを登ったら又とんでもなく酸素不足になるんとちゃうやろか。
行きたいけど、足が動かへん。金縛りになってしまった。
と言うほどではないけど、気が進まん。やめとこう。
このあたりをうろついて、遠くから眺めるだけにしておこう。残念ながら。
見上げたら空は澄んでとても美しい。空気が薄いせいなんやろか?
清浄感がただよう。
やっぱりこういうところにスピリチュアルな思考が生まれ育つのだ。
空気がキリリとしてる。
それにしても、本当はどうか走らんけど、この界隈、見た目はとても貧しい。
寺院だけがとても立派やけど、その麓に展開された家々はバラック小屋みたい
なんが多い。その暮らしぶりも、豊かとか、勢いがあるとか、清潔とか、
そういう感じとは程遠いという印象だ。
自然は豊かなんやろけど、産業がないんで生活は厳しいんかなあ?
ここに居るんはチベット系の少数民族たちなんかなあ?
幸せな暮らしなんかなあ。中国での少数民族って、ちゃんと保護されてるという
説明は良く聞くものの、本当のことはわしにはわからない。
あんまり幸せではないという噂も時々聞く。旅人には深いところはわからへん。
中国では、チベット仏教はそれほど珍しくない。
イスラム教も多いけど、チベット寺院も沢山あるようだ。
北京には雍和宮という大きなチベット寺院がある。とても沢山の人が集まっている。
よくある道教と仏教が入り混じったあるある的な中国の仏教寺院とは違って
日本のお寺に詣ったような気がした。
線香の匂いと、静かさが心を落ち着かせる。
それはともかく、このあたりの家屋の悲惨さは目を覆うものがある。壊れた家、
悲惨な暮らし、味のある風景なんて言うてられへん。
それに比べて寺院はあまりにも立派だ。ちなみに、ここもどんどん観光化されている。
きっと今頃は、とても賑やかで豊かな街になっていることやと思う。きっと。
知らんけど。
その幸せが元々の少数民族の人たちに行き渡ってたらいいなあって願う。
そうでない場合が多いらしいんで。特にそう思う。

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ありがとうございました。