三重遊、丸山千枚田、赤木城と熊野古道の旅−12、紀州鉱山選鉱場跡へ。

紀州鉱山選鉱場跡へ。

さて、赤木城もガイドさんの熱意でとても堪能できた。
この次は、この城に縁の深いところに行こうという。この城を攻めて敢え無く撃退された
一揆の人たちが処刑されたところだそうだ。
ご冥福を祈ろう。

その後は紀州鉱山選鉱場跡に向かうという段取りらしい。
高野山や本宮大社を含めて紀州の山々は霊験あらたかな神々のおられる地であって
とてもスピリチュアルなところであるというのは誰しも知る所であるんやけど
鉱山がたくさんあったということはあんまり知られてない。
実はわしが住む九度山町でも昔は、高野山に近い山のなかで銅が採れたらしい。
一時はそれで活況を呈してえらく栄えた時代があったらしい。
それ以外にも熊野のあたり、和歌山県側や三重県側の何箇所かで銀やら銅やらそういう
鉱石が採れて山のなかはお詣りだけではなくて結構賑わっていたのだそうだ。
そう言えば、高野聖の言い伝えに山の水には毒があるんで飲んではいけないという
話があったそうやけど、それは水銀や銅からくる毒素のことではないかと考えられる。
うかつに飲んだりしないよう、高野聖が噂を広めて回ったということか。
要するに恵み豊かな山だったということではないか。
てなことで、わしらは紀州鉱山選鉱場というところに向かう。

こういうところがあったと言うのは全く知らんかった。
えらい巨大な施設ではないか。
このトンネルから坑道に入っていったんやろか?

最盛期には一日千トンの能力がある東洋一の銅鉱山であったらしい。
一大工業地帯ではないか。
地下14階層、総延長328kmの坑道から掘り出した銅鉱石は右手上の方に柱みたいなんが
林立してるけど、あれが固液分離装置というらしく、そこで処理されて
鉄道で運び出されたいたらしい。

その上運搬ロープウエーまで使って、海岸の拠点まで運んでいた、一大産業拠点
だったというわけだ。
365日、24時間営業の不夜城と言われたそうだ。

それが、この寂れようは情けない。
栄枯盛衰常ならず。
1978年閉山。
日本中はどんどん寂れていく。
そう言えば、松阪から熊野市に来るまでの車窓の風景も、昔栄えた街が、今は見る影も
ないという情けない姿ばっかりであった。
商店街も閑散としてるし、哀しい現実やなあ。
富と発展の成れの果てが廃墟になって、人目を惹くオブジェになったというのは
ちょっと複雑やなあ。

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ありがとうございました。