コロナ日和の日々、妄想の旅に出る。V国へ、H市からF市へ列車の旅−30、道端の骨董市。

道端の骨董市。

街の中央部に大きな橋がある。川を隔ててこっち側が新市街。向こう側が王宮を含む新市街
に分かれてるんかな。詳しくはわからんけどそんな感じだ。
その橋を歩いて渡る。車も人もバイクも自転車も普通に通る普通の大通りだ。渡り切ったら
すぐに市街地がいかにもの旧市街になっていく。
どこに何があるやらわからんまま裏路地に入っていく。路傍に暇そうにいろんな人が
たむろしてるのがこの国の特徴ではないかと思ったりする。
別に怠け者が多いというわけではないんやろけど。そう見える。
側を通り過ぎたら、バイクタクシーやシクロのおっちゃんやったらすぐに声をかけてくる。
向こうが手を振って、こっちも手を振り替えしたら商売成立の合図みたい。
あっちの路地こっちの街角を通り過ぎて、公園裏みたいなとこに出る。ちょうどええ加減の
木陰があって気持ちよさやなあって思いつつ通ってたら、鳥の泣き声がする。
見上げたら、あっちこっちの木の枝に鳥籠がぶら下げられている。

その下には、さっきより暇そうなおっちゃんたちが椅子に座ってぼんやりしてる。
あるいは鳥の鳴き声に聴き入っている。これはもしや、中国や香港でよく見る、鳥を飼う
好事家たちなんかと気がついた。この国も今の仲の良し悪しは別にして、中国からの
文化の影響は色濃いんで、趣味人の好みも自ずとその方向に向かうんやとわかる。
簡素ではあるけど凝った作りの自慢の鳥籠に、これはと言う自慢の鳥を飼って、朝晩の
静かで涼しい時間に表に持って出かけ、例えば、公園にある木の枝にぶら下げて、その
下に座って鳴き声を楽しむ、というよりは、おのおのがそれを持ち寄って、鳥の姿の
見事さと鳴き声の美しさを競わせるというのを風雅な遊びとしてはるようなのだ。
そうはおもうけど、木の下にしてはるのは爺さんがほとんどで、特にお金持ちそうとは
風流人そうとか、文化人風とか、そんなんではほぼなさそうだ。
ごく普通のおっちゃん、爺さんたち、不思議なことに女性はいない。趣味には違いないやろけど
文化的な方向とは思えない。
まあ、中国で見た時もそんな感じであった。
わしにはわからん奥の深い趣味の世界があるんやろか。
先に進む。
同じ道のやっぱり公園の横、垣根を利用してなんか並べてる。
もしかして路上の骨董屋さんではなかろうか。とても興味がある。わしの大好きなやつや。
陶器の皿がある。花瓶がある。茶器がある。ありそうなやつがみんなある。
妖しげなやつもある。
とても面白い。
公園の垣根の段がちょうどええ展示台になってる。店舗で飾ってるみたいになってる。
妖しげな、そんなことないか、おっちゃんが店番で横に座ってはる。
こんなん好きやから何か安くてええもんがあったら買おうと一生懸命見たけど、あんまり
気持ちをそそるもんはなかった。
昔は中国の交易船が沢山来てたはずやし、この国の古い都やから、ひょっとしたら、思わぬ
掘り出し物があるかもしれんと思ったのだ。
まあしかし、そんな美味い話はなかなかないもんだ。
それより、とても良い裏通りを発見できたのが大収穫だ。又来ることがあるかどうは
わからんけど、ええ出会いがあったというのは嬉しい事だった。

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