中国、廬山&安徽、文房四宝の旅−20、廬山、雨の中、山を下る。

廬山、雨の中、山を下る。

さて、雨はいっこうに止む気配がないまま廬山の観光は終わった。李白の瀧を先に
行った目論見も何の意味もなかったようだ。これから山を降りる。
杜甫草堂にあったあの詩の舞台、東林寺、西林寺のあたりで飯を食うことに
なっている。

ではまたあの大っきなロープウエーに乗りに行こう。
と思ってホテルのバスを待つがなかなか来いへん。10分待っても20分待っても来いへん。
どないなってんやって思う。やっぱり、外国の人は時間にルーズやんかって思う。
どうやら、ホテルの送迎も1台でやってて、他の客の送迎とぶつかって調整がうまく
いかんかったみたいだ。来てからしきりにあやまってはった。性格的にええかげんと
いうことではなかったらしい。あやまりはるのも珍しい。

てなことでロープウエーのりばに到着。お客はわしらだけ。
天気が悪いせいなんやろか?30人以上は乗れそうなやつにスーツケースごと乗って
しまう。

室内に雨は降らんけど、そとは何も見えへん。

見えへんまま下に降りる。
廬山は李白、杜甫など唐の時代の有名な詩人の歌枕であると共に、もっと古い東晋の時代、
紀元400年前後の詩人、「陶淵明」が隠遁生活をした地でもあるらしい。
ガイドさんが、陶淵明の像もありますよって教えてくれた。
とおりすがりの興ざめな大きな像。
なんでもかんでも史跡にしてしまう。
そう言えば、昨晩、レストランのご主人が、尺八演奏を披露してくれたときに陶淵明の
「飲酒 其五」も詠唱してくれた。
「田園の居に帰る」と同じ、宮仕えの煩わしさから逃れて隠遁の生活を送るという話だ。
中国の文人の気分の基本になっている。
しかし、中国の文人というのは科挙の試験に合格して偉いさんになって、余技で書画や
詩を嗜む人たちのことやから、陶淵明のように本心からかかどうかはわからへん。

陶淵明 飲酒 其五

結廬在人境  廬を結んで人境に在り
而無車馬喧  而も車馬の喧しき無し
問君何能爾  君に問ふ何ぞ能く爾るやと
心遠地自偏  心遠ければ地自づから偏なり
採菊東籬下  菊を採る東籬の下
悠然見南山  悠然として南山を見る
山氣日夕佳  山氣 日夕に佳く
飛鳥相與還  飛鳥 相與に還る
此中有眞意  此の中に眞意有り
欲辨已忘言  辨ぜんと欲して已に言を忘る

車は東林寺のあたりを走ってるけどよう見えへん。

着いた。東林精舎。

ここはお寺ではなくてレストラン。

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ありがとうございました。