九度山暮らしのある日、映画「津軽のカマリ」を見た。

映画「津軽のカマリ」を見た。

もう30年以上前になるやろか、津軽三味線のレコードを買った。それが
高橋竹山の演奏やった。津軽三味線の何たるかも高橋竹山の何たるかも
知らんころで、今の知らんけど、ただその音楽がええなあって思って買ったのだ。
何となくええなあ、わしの好きなジャズに通じるもんがあるなあっていうのが
頭の隅にのこったまま年月が経った。
そのあと、何年か前に友人と雪の東北に旅行したことがある。わしとしては
日本の冬景色を画に描きたいと言う想いが強くて、無理矢理友人を
誘い出したようなもんやったけど、その旅のなかで、太宰治の故郷、
金木に津軽鉄道に乗って行く機会があった。
列車の中にだるまストーブみたいなんがある観光列車に乗れたんで雪の中を
温々と走られてとても快適だった。
金木で降りたら当たり前やけど雪がふってる。えらい寒い。
どこもかしこも雪が積もって真っ白。当たり前やけどどこか嬉しい。
斜陽館を見学してたら、向かい側の建物でもうすぐ津軽三味線の実演があると
言う。ちょうどええやんかと抱き合わせのチケットを買って中に入った。
実演の演奏はまあまあ、悪くはなかったけど心打たれて痺れるというほどでも
なかった。始まる前のビデオで三橋美智也が津軽三味線の普及に貢献したとか
高橋竹山が津軽三味線の名を高からしめたとか何とかかんとか説明はどうでも
ええけど、こっちの三味線の演奏がえらく心をゆさぶるではないか。
この荒涼とした雪景色によう合うやんか、津軽の暮らしを謳ってるんやなあ。
ええなあって思った。
そしてこの映画、竹山の生きた時代を追うドキュメンタリーだ。とても良い。
高橋竹山の津軽じょんがら節が響きわたる。
見えない目で虚空を見つめてひたすらバチで叩くように弾くように
引き続ける。

いつまでも途絶えることがないかのようにうねるように弾けるように
音が続く。

心の中をむんずと捉まえてかき回されるようだ。
何かわからんけど不安が広がる。
どれだけの怨念を背負ってるんやろ、どれだけの悲しみを背負ってるんやろ、
そんな事までおもわせる。
三味線は歌と共にあるらしい。
生活の唄だ。時には嬉しく楽しく、時には哀しく、時には猥褻で、豪快な
日々の暮らしが立ち上がる。
東北では、この当時、竹山のように幼くして視力を失ったものは、三味線を習って、
「ぼさま」、「ほいと」と呼ばれながら家々を回って物乞いをして歩くしか生きる
すべはなかったのだと言う。
雪国の物乞いは南国より更に厳しいと思う。
路頭に迷えば忽ち死が待っている。
山頭火の物乞い暮らしより厳しかったんとちゃうやろか?
何度も何度も凶作、飢饉に見舞われる地方で、「ぼさま」、「ほいと」で
生き延びる壮絶さの中で竹山の三味線の技が研ぎ澄まされていったのだ。
美しいけど荒涼とした寂しいけど暖かい人達がいるようなそんな映像が
流れる中に、竹山の力強い三味線の音が響き渡る。
「やっぱり竹山の音は他の人とは違うよ、全然違うよ」
「そやけど、目の見えない人の弾く音はちょっと近いかもしれんなあ」
こんな事をいう村人もいてる。
目の前に聞く人がいればどんな時にも弾いてみせると言う、哀しいサービス精神なのか
三味線弾きの怨念なのか、どこまでも弾くのが好きなのか?
最後の演奏は、悲惨で壮絶でボロボロやけど濃縮された芸の総てがどこかに
宿ってるようで聞いてて涙がとまらない。
やっぱり津軽三味線ってどっか根底のとこでジャズの魂と通じる処があるなあって
思った。
ちょっと違和感を感じたのは二代目高橋竹山。
確かにすごい演奏をしはる。
そやけどなんで二代目である必要があるんやろ?
本当の芸術家であるなら、おのれの名前で身を立てるべきでなないんやろか?
こういう業界はようわからん?
素人のうがった見方すぎなんか?
映画はとても良い。是非劇場でご覧あれ。
「梅田シネリーブル」で上映中。

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ありがとうございました。