さて、ええもん見せてもろた。これで終わったかと思ったら村のガイドさんはまだ先に
すたすたと露地を進む。
露地を曲がってレンガの壁の間を通って、広場に出た。
おおっ、とてもええ感じの広場だ。
真っ先に目が行くのがこの旗だ。
「歸去來兮(かへりなんいざ)」すごいなあ。陶淵明の「歸去來兮辞」の冒頭の一節だ。
さりげなくこういう言葉がでてくるところが文化の深さを物語るなあ。中国4000年恐るべし。
田舎を見直し、田舎暮らしに回帰しようという運動を推奨してはるんやろか?
詩の一部を紹介すると
歸去來兮(かへりなんいざ)、田園將(まさ)に蕪(あ)れなんとす、胡(なん)ぞ歸らざる。
既に自ら心を以て形の役(えき)と爲し、奚(なん)ぞ惆悵して獨り悲しむ。
已往の諫めざるを悟り、來者の追ふ可きを知る。
・・・・
・・・・
・・・・
歸去來兮(かへりなんいざ)、交りを息(や)め以て遊びを絶たんことを請ふ。
世我と相ひ遺(わす)れ、復(ま)た駕して言(ここ)に焉(いづく)にか求めん。
「飲酒詩」と共に有名な詩で中国では誰でも知ってる。もちろん日本でも有名やけど
すらっと口から出てくる人はすくない。
ということで都を離れて田園の暮らしに帰るというのが、こういう村に帰るという
ことなんやでと言いたいんやろと思う。
それにしても良い広場だ。
周囲どこをみても絵になる壁がある。
そこから繋がる露地もまたええ。
洗濯モンをあんまり見るのははずかしい。
いつまでもここでじっとしときたい気持ちも起こってくるほどだ。しかし、座るとこも
休むとこもない広場やから疲れてきた。
次に行く。
古民家を何となく美術館風に仕立ててるみたい。
いろんな絵を飾っている。
こういうのがさりげなくあるのも文化なんかなあ。
良う見といて絵を描く参考にさせていただこう。
場合によってはパクらせていただくかも?
なんてことを考えながら見ていく。
家の中はよく似た造りだ。
この時代のこの土地ではこんな風だったというくらいしかわしの頭には残らへん。
それにしても、観光化されてないってこんな事やったんかと改めて嬉しく思う。
村のガイドさんが一応は案内はしてくれるけど、これ見とかなとか、ここ行っとかな
とか、何処見ても店ばっかりとか、そういうのが無いんでゆったりと見学できるし、
昔親しんだような漢詩の世界が普通の村の生活の中にひょっこり顔をだしたり
するんでやっぱり4000年?の文化ってすごいわって思ったりするのが
とても新鮮だ。
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ありがとうございました。