駱駝を降りたら尻がほっとした。けどまだヒリヒリする。結構尾てい骨あたりの
皮がずる向けになったんちゃうかという実感がする。今晩風呂に入るのが怖い
なあ。
あたりはほんのり薄暗くなりかけてるけどまだ夕方だ。時間はもう20時を回って
るけど体感的には6時前くらいの感じ、月明かりの月牙泉が見れたらええのにと
思うけどまだ少し早いようだ。
月牙泉というからには三日月型の泉があるのだ。
そしてそのほとりに東屋があるという写真や絵がよくでてくる。楽しみだ。
こんな時間でもまだまだ園内は稼働中だ。
わしらを乗せた電気自動車がゴロゴロと走っていく。意外と道は荒れている。
でも駱駝よりはるかに滑らかだ。こっちがええ。救われる。
砂漠には不似合いな緑と泉が現れた。
オアシスってこんな感じなんかなあ、ちょっと違うような不自然さがあるような
気もするけどまあええか。
それより、写真では遠いけど肉眼ではよう見える、砂漠の斜面で遊んでる人達
が面白い。寝転んで喋ってる人達、砂滑りをしてる人達、歩いて月牙泉まで行こう
としてる人達、思い思いの姿が絵になるなあって思う。それにしても時計はもう
20時を越してるのに皆さんのんきなものだ。ここはいったい何時までオープン
してるんやろ。
いよいよ月牙泉だ。
なるほどこういうやつか。
わざとらしくはあるけどなかなかええ。ええ感じを出してる。ここに三日月が
欲しい。しかし残念ながらまだ月までは見えない。その上、三日月型の泉がかなり
干上がっているではないか。来るときにタクシーの運転手に聞いた話では、
遠くに見える祁連山系からの水が湧き水となってここに来てるんやそうやけど
最近は富みに水が少なくなってきたんでいつか完全に干上がるのではないかと
言う恐れがでたんで何かの工事をしてそれを補ってるってなことを言うてはった。
最近のニュースではこのあと今に至る長年の地方政府の厳しい管理で無事一定
の水位が保たれているらしい。時には「鉄背魚」という珍しい現住魚が見られ
ることもあるということであった。
残念ながらこの時には水は少なく興趣を催すほどには至らなんで頭のなかで
想像の興趣に酔うことにしよう。
こないだ紹介した「涼州詞」の他にも王翰という有名な詩人に同じ題の有名な
詩がある。
葡萄の美酒、夜光杯。
飲まんと欲すれば琵琶馬上に催す。
酔いて沙場に臥すとも君笑うこと莫れ。
古来征戦幾人か帰る。
要するにわしもその一人やけどこんな詩にあこがれて敦煌に来たくなる日本人が
とても多いのだ。
この旅の帰りにわしもロマンチックにあやかって夜光杯を買って帰ろうと思った。
いかにもお土産ものそのものやけどまあ記念としては悪くはない。
時々葡萄の美酒を入れて楽しもう。
いつまでおっても日がくれそうもないんでそろそろ帰ろうと思う。
しかし不思議に思うのはこれだけの大きな山のある砂漠をどないやって勝手に
外から人が入って来んように囲ってるんやろ、不思議でならん。これが中国の
すごいとこなんかしらん。
おやもう21時だ。体感時間はまだまだ夕方の入り口みたいやけど大分腹が減った。
運転手さんにも申し訳ない。
一緒に晩飯を食いに行こう。
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ありがとうございました。