おや、気がついたら旅の話がネタ切れになってきている。今年は九度山暮らし
などと色んなことがあったんで旅に行く回数が減ってるし、そろそろ減らして
行かんと体力よりもわずかな蓄えが危うくなる。とは言うものの何かとキリギリス
暮らしからは抜け出せそうもない。ということでブログに書いてない(書いたけどメニュー
に載せてないんで埋没してる)時代の旅を振り返ってみたいとおもう。
まずは敦煌の旅にしようか。もう10年ほども前の話だ。ということはまだ
現役時代の話だ。中国には割と頻繁に出張に行っていたけど旅行にも行っていた。
しかし、いくらなんでも出張のついでに旅行に行くことはなかった。それはまあ
会社員やから当たり前の事で出張に休暇をくっつけたらええやんかと言うわけ
にはいかんのだ。公私はちゃんとわけんとあかん。そやから休暇を利用して旅を
するんやけどあの頃はわしも仕事が忙しかった。休暇なんかろくに取られへん、
というかそれほどの重要人物なんて自分で勝手に思い込んでただけど実際に休んで
みたら何てことはあらへんかったかもしれんけど、なかなか思い込みからは逃
れがたいのが人の世ではある。
ブログを書くために日記を振り返ってみると何と北京から敦煌まで1泊2日で
旅をしてるではないか。今から思えばアホかいなそんなもったいないと思う。
最初は北京だ。当時はJALでも関空ー北京に直行便があった。
北京についたら旅装を解くのもそこそこにまっしぐらに琉璃廠に向かう。ここは
ええ、大好きだ。だんだん色褪せつつあるけどまだ老北京という色彩が少しは
残っていてそれは見た目は古色を止めるように造りながらもそれがわざとらしく
みえる建物からではなくて、メインの観光通りともいえる大通りから横に走る
露地、幾つもの露地が北京によくある胡同(フートン)というやつとそこに居る
人たちが醸し出す空気のことなのだ。いかにもと言わんばかりの太って腹を突き
出したおっちゃんが上半身裸、よくて下着姿で闊歩している横でほぼ同じ格好
の人たちが縁台将棋やトランプに興じ、それを見てる人たち、知らん顔して道端
で火を熾してるおばちゃん、最近めっきり減った道に水で字を書いて見せてる
路上書家、こんな人らがいてはるところなのだ。もちろん我が大阪にも似た様な
ところはある。天王寺の奥の方、動物園前や萩ノ茶屋、新今宮に囲まれたあたり、
そんなとこでも路上では似たような賑わいがあって似たような穢らしさもある。
路上に平気で唾や痰をまき散らす人もいるし、もしかしたら塀の陰で立ち小〇
をしてはる人もいてるくらいだ。そしてそういう場所に特有の匂いもある。
ことさらにそんな穢らしさや猥雑さを好きというわけではないけど、こういう
場所特有の活力感や人と人の敷居の低さ感のようなものが好きなのだ。
こういうのも絵に描くべき人の暮らしの原風景の一つであると言えるのではない
であろうか。
ここ琉璃廠にはそれだけではないものがある。清朝の昔から文房四宝、所謂書画
の道具、筆や墨、硯から紙、篆刻石、印泥などなどありとあらゆるモノを売る
店が軒を連ねていた商店街で今でもその名残を残す店が沢山あるし、その中で
一際有名なのが「栄宝斎」と言う店なのだ。最近水墨画を勉強しはじめたわし
にとっては、どれが名品かは分からんままにあれもこれもがかっこよくて買い
たいモンだらけで困ってしまう。そやから最近、北京に来たら真っ先にここに
来てしまうのだ。
まずは紙を買おう。実は水墨画に使う画仙紙は殆どが中国産なのだ。ワラで作った
紙を独特の製法で仕上げると美しい滲みがでるようになる。中国独特の技法だ。
残念ながら日本では同じものはできないようだ。日本では高いこの紙が原産地で
ある中国では比較的安く買える。そやから高級と言われる紅星印のブランド品の
4尺全紙を一反(100枚)買って帰るのだ。えらい荷物になるけど日本で輸入品
を買うよりははるかに安い。しかし、ブランド品ばっかり買ってられへんし、他
の銘柄でも良いものは沢山ありそうやから色々買って試してみようと思っている。
筆は日本とは品質がえらい違う。しかし、消耗品と考えればこんなんでええかと
割り切っていいのが見つかったら買う様にしてる。
墨は日本の方が絶対に良いと思う。
篆刻石や印泥は中国に良いものがあると思うけど見極めが難しいのではなか
ろうか。
そこそこ買ったら満足してホテルに帰ろう。
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ありがとうございました。