北京の春ー06.永定河を通って川底下村へ

さて揚げパンと豆乳で腹ごしらえができた。
今日の目的地は川底下村というところだ。北京の北西80kmくらいのところにある明時代の古鎮のある
村だ。
しばらくすると画の老師も合流してきた。今回は老師も中国に来ていたので、「川底下村なら」と言う
ことでついでに合流することにしてくれたのだ。
楽しい大人数の旅になる。
と言う事で最初はバスで行くつもりだったが、車を雇って行く事にしたのだ。バスだと、地下鉄で行って
バスに乗って、又乗り換えてと大変みたいだったから楽ができる。
北京市内を一旦真っ直ぐ西に向かっているようだ。空は晴れて気持ちがいい。
老師はさすがは中国人、「あそこは○○だよ、こっちは△△だ」といろいろ教えてくれるが、その建物や
施設の持っている意味がわからない我らには、ただただ、「そうですか」と感心しているしかない。
「ごめんなさい」なのだ。
どんどん西に進むと河に出た。永定河という川だ。
何年か前にこの川を少し南に下ったところにある、「盧溝橋」というところに来た事がある。
マルコポーロが、「世界で一番美しい橋」と言ったという橋であり、フビライの騎馬兵が堂々と行進
していたところだ。しかし、日本軍が爆破して日本と中国の戦争が始まった橋でもある。
複雑な思いで見に行った橋ではあるが、今はもうただの川べりに復元された橋しか残っていなかった。
今日は通らないで西に抜けて行く。
ここからはずっと川沿いに道を走る。
右岸になったり左岸になったりだ。そして川と並行して鉄道が走っている。
広い舗装道路がずっと続いている。どんどん山村に入って行く。
道は快適だ。時々列車が走り過ぎて行く。貨物列車は長い。延々と続いている。
私は鉄っちゃんではないが列車の走るのを見るのは好きだ。
「あのままモンゴルの方まで行くんやろか?」列車の旅は楽しそうだ。座ってるとどこか違う街に
連れて行ってくれると思うとわくわくする。車でも同じことのはずだが、どこかちがうのだ。
列車は気分的には線の移動だ。旅人がその途上で降りても列車はまだ先に進む。いろんな旅を運ぶ、
未知の楽しみを運ぶ、そんな装置であるような感覚だ。
車はどうだろう。私の感覚的では点と点を結ぶものだ。出発から決められた目的地まで、ただ走る。
それだけの事のような気がしてしまう。閉じた鉄の箱やから出会いがないからかも知れんなあ。
この道は国道なのだろう。良い道だ。道路標識を見ていると、ずっと行き先に、「霊山」がある。
「霊山」と言えば、もう太行山脈になる。いつか行って見たいところだ。
川沿いにいろんな娯楽施設が見える。
遊園地のようなところがあったり、キャンプ場のようなところもある。
古い何かのテーマパークのようなところもある。休日には市内からちょっと郊外にでて楽しむ
ようなところなのだろう。大阪だったら、摂津や河内長野に川遊びに行くようなものだ。
皆川辺で楽しそうだ。

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「ちょっと道ちゃうみたいやで」
雇った車とはいえ、運転手は必ずしも地理に詳しいわけではないのだ。ナビはないし、ちゃんと
した地図をもっているわけでもない。わからんようになったら適当に聞いて行くだけだ。
それに川底下村と言うのは最近そう呼ばれるようになったので、昔からはもっと難しい名前で
呼ばれていたから分岐点の標識を見落としたのだろう。
そう言うても、車はどんどん先に行く。
運転手は自信があるわけではなさそうだが、引き返すきっかけをつかみかねているのだろう。
「停まって、停まって」と連呼する声で気持ちよく寝ていた老師が起きだして、一喝した。
やっと停まった。
ダム湖が見える展望台だ。
やれやれ。
そこで休んでいた人に道を聞いて運転手はやっと納得したようだ。
また十数キロバックだ。分岐まで戻ったら、今度は国道を外れて山の中に入って行く。
所々、古い民家の集落が見えて、杏の薄いピンクの花が咲いている。
「雰囲気が出て来たぞ」

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ありがとうございました。