さて揚げパンと豆乳で腹ごしらえができた。
今日の目的地は川底下村というところだ。北京の北西80kmくらいのところにある明時代の古鎮のある
村だ。
しばらくすると画の老師も合流してきた。今回は老師も中国に来ていたので、「川底下村なら」と言う
ことでついでに合流することにしてくれたのだ。
楽しい大人数の旅になる。
と言う事で最初はバスで行くつもりだったが、車を雇って行く事にしたのだ。バスだと、地下鉄で行って
バスに乗って、又乗り換えてと大変みたいだったから楽ができる。
北京市内を一旦真っ直ぐ西に向かっているようだ。空は晴れて気持ちがいい。
老師はさすがは中国人、「あそこは○○だよ、こっちは△△だ」といろいろ教えてくれるが、その建物や
施設の持っている意味がわからない我らには、ただただ、「そうですか」と感心しているしかない。
「ごめんなさい」なのだ。
どんどん西に進むと河に出た。永定河という川だ。
何年か前にこの川を少し南に下ったところにある、「盧溝橋」というところに来た事がある。
マルコポーロが、「世界で一番美しい橋」と言ったという橋であり、フビライの騎馬兵が堂々と行進
していたところだ。しかし、日本軍が爆破して日本と中国の戦争が始まった橋でもある。
複雑な思いで見に行った橋ではあるが、今はもうただの川べりに復元された橋しか残っていなかった。
今日は通らないで西に抜けて行く。
ここからはずっと川沿いに道を走る。
右岸になったり左岸になったりだ。そして川と並行して鉄道が走っている。
広い舗装道路がずっと続いている。どんどん山村に入って行く。
道は快適だ。時々列車が走り過ぎて行く。貨物列車は長い。延々と続いている。
私は鉄っちゃんではないが列車の走るのを見るのは好きだ。
「あのままモンゴルの方まで行くんやろか?」列車の旅は楽しそうだ。座ってるとどこか違う街に
連れて行ってくれると思うとわくわくする。車でも同じことのはずだが、どこかちがうのだ。
列車は気分的には線の移動だ。旅人がその途上で降りても列車はまだ先に進む。いろんな旅を運ぶ、
未知の楽しみを運ぶ、そんな装置であるような感覚だ。
車はどうだろう。私の感覚的では点と点を結ぶものだ。出発から決められた目的地まで、ただ走る。
それだけの事のような気がしてしまう。閉じた鉄の箱やから出会いがないからかも知れんなあ。
この道は国道なのだろう。良い道だ。道路標識を見ていると、ずっと行き先に、「霊山」がある。
「霊山」と言えば、もう太行山脈になる。いつか行って見たいところだ。
川沿いにいろんな娯楽施設が見える。
遊園地のようなところがあったり、キャンプ場のようなところもある。
古い何かのテーマパークのようなところもある。休日には市内からちょっと郊外にでて楽しむ
ようなところなのだろう。大阪だったら、摂津や河内長野に川遊びに行くようなものだ。
皆川辺で楽しそうだ。
「ちょっと道ちゃうみたいやで」
雇った車とはいえ、運転手は必ずしも地理に詳しいわけではないのだ。ナビはないし、ちゃんと
した地図をもっているわけでもない。わからんようになったら適当に聞いて行くだけだ。
それに川底下村と言うのは最近そう呼ばれるようになったので、昔からはもっと難しい名前で
呼ばれていたから分岐点の標識を見落としたのだろう。
そう言うても、車はどんどん先に行く。
運転手は自信があるわけではなさそうだが、引き返すきっかけをつかみかねているのだろう。
「停まって、停まって」と連呼する声で気持ちよく寝ていた老師が起きだして、一喝した。
やっと停まった。
ダム湖が見える展望台だ。
やれやれ。
そこで休んでいた人に道を聞いて運転手はやっと納得したようだ。
また十数キロバックだ。分岐まで戻ったら、今度は国道を外れて山の中に入って行く。
所々、古い民家の集落が見えて、杏の薄いピンクの花が咲いている。
「雰囲気が出て来たぞ」
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