この町並みの裏手に少々小高い場所がある。えらいしっかりした石組みの石垣
やから城跡かなんかやろと思ってたら満舟寺というお寺らしい。海洋交通の要
の土地柄やから道中安全を祈願するとこやったんやろう。清盛が難破しかけた
のを助けてもらったお礼に観音様を寄進したと言う話もあるらしい。
なるほどそれなりの年輪を感じる。
中に観音様がいてはんのかなあ?
その横にある神社はぼろぼろの廃墟になってしまってる。
栗田樗堂という江戸時代の有名な俳人もここに暮らして墓があるらしい。
見晴らしのええとこで眠ってはるんや。
もいっかい下に降りる。
昭和チックな映画館のような、大衆演劇場みたいなのがあった。
こんなとこで映画みたらええやろなあ。
こんな建物も昭和チックでなかなかいい。テレビドラマかなんかの舞台になっ
たとこもあるそうだ。
これはまたおもしろい。こんなん好きやなあ。
もうちょっと時がたったらええもんになりそうや。
幕末も出てきた。
長州藩と組んでいた討幕派の公卿、三条実美たち7人が京都にいるのがやばく
なって長州に逃げるときにここで休んだのだそうだ。
三条実美と言えば、この秋に紅葉を見に行った瑠璃光院の持ち主だった人、い
ろいろ繋がってるんでおもしろい。
中を覗いていると舟の模型があった。これはなんやろ?
おちょろ舟というのだそうだ。
つまり舟に乗って遊女がやってくる。気に入ったらその舟に乗って、波にゆら
れながらいたすのだそうだ。船頭さんが外にいてはるやろし、狭いやろし、落
ちつかへんやろなあ。
こんな海で。
海の中の小さな島々をかきわけて奥へ奥へと辿っていったら人知れず小さな桃
源郷があったというわけだ。
昔々の話なのだ。
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