草堂寺を出て、香積寺へ向かう有名な詩人、王維の詩に出てくるとこだ。
王維は詩人であると同時に水墨画の名人でもある。そして終南山は画題になっていた。
香積寺から終南山を眺めるとわしにも良い画想が浮かぶかもしれないではないか。
さっきのT字路のところまで来た。わしは左折して元のほうに戻ると思った。
しかし運転手はまっすぐ行く。行けども行けども行き着かない。
彼はかなりあせり始めた。電話で聞いているが聞いている相手も知らないようだ。
こんどは車をおりて、おっちゃんやおばちゃんに聞いている。
相手もよくは知らないようで適当に答えているようだ。車は行きつ戻りつしながら
一向に埒が明かない。
「いったい何処なんや?」とわしに向かって言い始めた。
「そんなんわかるわけないやん」と答える。
しかしどさくさにえらいやつを見つけた。
運転手がいろいろ聞いてるとあるおっちゃんが、「わしが教えたるから乗せていけ」
と言い始めた。運転手が、「いいですか?」と聞くので断るわけにもいかない。
しかししばらく走っておっちゃんの目的地まで来るとさっさと降りて行ってしまった。
適当にヒッチハイクされてしまっただけなのだ。
運転手はパニック寸前になりながらも必死で聞き倒してだんだん核心に迫ってきたよ
うだ。「当たり」の場所に向かってるとわしらにも理解できるようになって来た頃、
やっと香積寺の看板を見つけた。
そっからが又大変だ。看板のところで曲がったわりには道がない。細い泥道が田圃に
つっこんで行きそうなところをしばらく走ってやっと見えた。
外観は荒地に取り残されたぼろ寺と思えるような風景ではあった。
遠くに終南山が見える。
もう日が暮れかけている。
王維の詩ってこんなやつだ。
香積寺を過う 王維
知らず 香積寺 数里 雲峰に入る
古木 人径無し 深山 何処の鐘ぞ
泉声 奇石に咽び 日色 青松に冷かなり
薄暮 空潭の曲 安禅 毒龍を制す
:岩波書店 中国詩人選集 「王維」より
そうそう、こういう趣があると言える。
意外と立派な門をくぐると、
意外と立派なお寺であった。
日本の仏教界から建造資金がでているよう。日本語の石碑もあった。
大雁塔、小雁塔のようなその当時の様式の塔もある。
祈りの生活もあるようだ。
寺の外はこんな感じ。ええなあ。
夕暮れの香積寺から終南山を眺めて帰ろう。
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ありがとうございました。