住吉大社に着いた。
川勝をでて右にいく。
チンチン電車の踏切を渡ると、また、電車の通る大通りに合流する。
左手先に住吉大社の入口が見える。
いくつも入り口の鳥居があるけど、分かり難くはない。
どこから行ってもおなじとこに着く。
境内はとても広い。それでも昔の隆盛にはとても及ばない。
昔は目の前が海で、超広大な神社が壮観だったらしい。 見たことないけど。
今は、赤ちゃんの初節句やら、お食い初め、七五三などなど、いろんなお祝い行事にここは大賑わいだ。
この日は、特にええ日でもなかったのか、境内は閑散とは言わないまでも人では少ない。
社殿は1番、2番と4、5番まであって、順番にお詣りするのだそうだ。
お酒が入ってけだるくて面倒やから、どうでもいい。
このあたりにはグルメスポットが多い。
住吉大社あたりと言えば、近辺には商店街もあって、美味しいお店がたくさんある。
さっき行った川勝もその一つ。
他には、コロッケで有名な
鰻の美味しい店もまだある。
和菓子屋さん。ブログには書いてなかった。
カレーが美味しいと有名なお店もある。わしが行ったときはカレーの時間でなかったんで珈琲だけいただいたけど、とても美味しくて、居心地のよいお店であった。
他にもいっぱい美味しいお店がある。
一休さんの煩悩とは。
さて、一休さんの煩悩とは。
とんちの一休さんでよく知られてるけど、実は高貴な血筋のえらいお坊さんだったのだ。
前に、京田辺の酬恩庵(一休寺)へ行ったことがある。
それで、思い出した。
一休禅師は住吉大社に来て、森女と知り合ったらしい。
この近くの「一休禅師牀菜庵」に住んでいた。当時で78歳、森女は20代、なんてすごい。
いたく気に入った禅師はとうとう酬恩庵まで連れ帰って、死ぬまで一緒に暮らしたのだそうだ。
自由奔放の破戒僧。というだけでは表現しきれない程のぶっとんだ人だったみたい。
禅の真髄は戒律にあらずと、酒を飲み、肉でも魚でも食う。女犯の諌めもものともしないで、遊郭に出入りする。
風狂の人、一休禅師。
「狂雲集」という彼の詩歌集、いかにも学識の深さを示す難しい漢詩がいっぱいならんでるけど、後半は臆面もなく、二人の愛欲生活が綴られている。
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盲女森侍者、情愛甚だ厚し。将に食を絶って命をおとさんとす。愁苦の余り、偈を作って之を言う。
百丈の鋤頭、信施消ず、飯銭、閻老、かってゆるさず。
盲女が楼子をわらう。黄泉の涙雨、滴蕭々。
鸞與の盲女、しばしば春遊す。鬱々たる胸襟、好し愁を慰するに。
さもあらばあれ、衆生の軽賤することを、愛し見る、森也が美風流。
楚台まさに望むべし、更に応に攀ずべし、半夜、玉床、愁夢の間。
花は綻ぶ、一茎、梅樹の下、凌波仙子、腰間をめぐる。
(秘所は水仙の香りがするのだそうだ)
::中央公論社 「一休宗純 狂雲集」 柳田聖山訳 より。
狂雲集の最後は、森女賛美の歌が溢れて終わる。
一休さん、彼女の膝枕で生涯を終えたのだそうだ。
なんと羨ましい。
おしまい。
てなことで、「熊野街道を歩く、大阪編」はこれにておしまい。
もよりの南海高野線、住吉東駅まで歩く。
電車に乗って帰る。
いつかまた、近いうちにこの続きを歩きます。
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住吉大社の地図。