天王寺七坂を歩く-03、真言坂から源聖坂へ。

真言坂から源聖坂へ。

さて、生國魂神社さんを右手に見ながら先に進む。

ちらっとお墓と顕彰碑みたいなんがあるのを横目に見る。

桜田門外ノ変の時に、襲撃した武士があちころ逃げ回って、ある時、大阪にいたところを捉えられたという話を何かの本で読んだ事がある。逃げ回るあいだに、お妾さんを作って、子供まで作った人もいると言う。

えらい、まめなことだ。

そのうちの誰に当たるか知らんけど、ここに墓がある。

 
あじあんじゃんくしょん

ふーん、そうだったんか。

源聖坂は、この少し先で曲がったとこにあるはずだ。

曲がり角の入り口に看板があるんでよくわかる。

この曲がり角のところが銀山寺というらしい。

看板によれば、心中宵庚申という文楽浄瑠璃の出し物があって、それは実話に基づいての話らしくて、その主人公である半兵衛、お千代を偲ぶ比翼塚というのがあるらしい。

 
あじあんじゃんくしょん

ふーん、そうだったんか。
あんまり興味ない。

文楽はたまに見ることがあるけど、演目については全くわからん。

坂はまだ、ちょい先にある。

すぐに見えてくる。

少し下がったあたりの右手が齡延寺というところらしい。

先ほどの看板によると、そこには泊園書院を開いた藤沢東畡、南岳父子の墓があるらしい。

泊園書院って言われても。

今の関西大学の元になった漢学塾だったらしい。

 
あしあんじゃんくしょん

ふーん、そうだったんか。
あんまり興味ない。

確かに、看板やらがあって初めて、昔ここに何があったとか、何かに縁があったんやとか知る事が多い。

興味があってもなくても、そういうことに注意を向けるって結構大事なことやとおもう。

それが、何や? それを知ってて何になるんやと、通りすぎるばかりよりは、ちょっとだけ、心に余裕を持って、ちょっとだけ、見てみる、読んでみる、心にとめてみる、ことをしてると、いつか、ふと、それを思い出したりして、その時の風景が蘇ったりするのだ。

知らないところで、いろんな記憶が結びついている。

坂は短い。

すぐに降り切った。

確かにこのあたり寺が多い。

知らんかった。

ユーチューブ動画を作ってみました。時間があったらご覧ください。

Googleマップで経路も見てみてください。

あじあんじゃんくしょん
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