大阪近辺の熊野街道を歩く。住吉から仁徳陵まで−02、大和川まで。

「止止呂支比賣命神社」を出たら、南に向かってどんどん歩く。

ごく普通の住宅街だ。

ときどき、熊野街道の標石があるんで間違いないことが確認できる。

平日の午前中、あんまり人と出会うことはない。

まだ、初夏の頃なんで、それほど暑くもない。

わしらはまだまだ元気だ。どんどん歩く。

あじあん

大通りに出た。

わしらと並行して走ってる府道30号線だ。ここでクロスする。

堺市の堺東あたり、高島屋あたりを通って大阪阿倍野につながるこの路線は、堺に住んでた頃はとても馴染み深い通りだ。

確か、あの時に通ったなあ。

さっきは墨江と町名表示があるあたりを過ぎていった。

住之江とは違うんやね。

しらんけど。

あじあん

遠里小野(おりおの)

そろそろ歩いてるあたりは、遠里小野というところらしい。

「おりおの」と読むらしい。とても珍しい読み方だ。

なんとなく気になって調べてみた。

万葉集の昔からこの地名があるそうだ。

「とおさとおの」という名前で出てくる。

こんな感じ。

1156住吉(すみのえ)の遠里小野(とおさとおの)のま榛(はり)もち摺(す)れる衣(ころも)の盛り過ぎゆく
3791さ丹(に)つかふ 色なつかしき 紫の 大綾(おおあや)の衣(きぬ) 住吉(すみのえ)の 遠里小野(とおさとおの)の ま榛(はり)もち にほほし衣(きぬ)に 高麗錦(こまにしき) 紐(ひも)に縫ひ付け 刺部重部 なみ重(かさ)ね着て

こんな川べりのなんの変哲もない平たい土地に、きれいな山やら滝やらがあるわけでもないし、目を奪うような絶景があるわけでもないし、なにかしらの伝説も聞かへんのに、万葉の昔から何があったんやろ?

とても興味深い。

泉州の海近いところは、交通の要衝でもあったんやろか。

遠里小野は瓜生野(うりうの)とも呼ばれているみたい。

室町時代には、幕府と楠木正行が戦った瓜生野の合戦で名を残してるという。

見た目には何の変哲もない普通のご町内のようでなかなかの歴史の重みがあるというのはとても面白い。

あじあん

農神社。

知らない話はともかく、歩いてると面白い神社に出くわした。

「農神社」と書いてある。

なんだか、いわくがありそうやけど、後でしらべてもあんまり出て来いへん。

さきほど見てきた「止止呂支比賣命神社」と何らかの関係がありそうやけど何だかようわからへん。

まあ、どうでもええけど。

てなことで、大和川に出た。

これで大阪市とはお別れだ。

あじあん

今回、彷徨った動画をYouTubeにアップしました。ご覧ください。

 

今回、うろついたあたりの地図です。

あじあん

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