コロナ日和の日々、妄想の旅に出る。V国へ、H市からF市へ列車の旅−10、列車の旅が始まった。

列車の旅が始まった。

さて、発車の時刻が迫ってきた。
60分前に改札が開くようだ。開いたような気配がしてきた。こうなると、じっとしててもしょうが
ないんで列車に向かう。
列車番号を確認して、自分の寝台を探そうと係員にチケットを見せたら前の方に行けと言う。
言われた通り前の方に行ったら座席列車ではないか。これは違うやんか、おかしいなあと
チケットをようみたら1号車ではなく11号車とちがうやろか、前の1が消えかけてる。
座席の旅も悪くはないけど、爺さんには横になれるベッドの旅の方がありがたい。
それでまた延々と戻る。係員がいたんでも一回聞く。かすれた11のとこを指差しながら
ワーワー言うとわかってくれた。ここでOKだ。
この国の列車はプラットホームがなくて地べたからよじ登る。スーツケースを持ち上げるのは
大変やけど係員が手伝ってくれた。
コンパートメントの寝台車なんて日本ではえらく高いんで乗ったことがない。どんなんやろって
楽しみやったけど、若者たちが思ってたようにかなり古びて小汚い。車内は一応エアコンは
効いてるみたい。暑さで寝られへんということはなさそうだ。
スーツケースを座席の下に押し込んで、トイレの場所と状態だけ確認しに行く。
ピカピカ綺麗とは言い難いけど不潔ではない。不衛生でもない。
大丈夫だ。
戻って座ってたたチケットのチェックに来た。各車両に1人係員がいるみたい。
出発まで時間があったけど、だんだんと席が埋まってきた。
わしのいるコンパートメントには1組の夫婦が入ってきた。奥さんが下段、ご主人が
上段に入るようだ。ちなみに昼間は下の寝台は椅子として使う。
2人とも40歳すぎくらい、ご主人は小柄で引き締まったこの国独特の顔つき、体型で、
奥さんも小柄やけど少しふっくらしてる。どちらも優しそうだ。
この国の人は見かけより若く見えることが多いんでもしかしたらそれ以上かもしれん。
なんとなく黙礼で挨拶して曖昧な顔をしてたら、ご主人が突然この国の言葉で話しかけてきた。
何言うてんのかわからへん。
あいまいな顔をしてたら、分からんと見て英語で話しかけてきた。
さすが、なんでこんなことできるんやろ?
英語ならとは思えども、悲しいことに少々喋れるくらいで難しい話はできへん。訥々と
会話をしてるうちに、彼らはアメリカから来たというのがわかった。
ミズーリ州カンザスシティで20年ちかく暮らしているのだそうだ。今回は里帰りで
この国に帰ってきた。H市で何日か過ごしたあと、奥さんの実家である、Nという海岸
リゾート地に帰るところなのだそうだ。Nに着くのは夕方遅くになりそうだと教えて
くれた。

なるほどそうなのか、どうりで英語が流暢なはずだ。
この国ことや、アメリカの事をわしのわかる範囲でいろいろ教えてくれる。
わしに言うのは簡単な話だけやけど、その奥にはわからんなりにも深淵が見えるような
気がする。優しく穏やかな顔の奥に、言うに言えない辛酸が隠されているのかもしれない。
年齢からしてひょっとしたら難民としてアメリカに渡ったのかもしれん。
戦争が終わったらすぐに全くの平和で自由が訪れたわけではなかったそうなのだ。
いままでの富裕で自由を謳歌してた階層のひとたちが逆に酷い仕返しをうけたり、
ボートピープルとして海外に逃れるべく海を彷徨ったりした時代があるのだそうだ。
その多くはアメリカに行ったと聞く。
わしの語学力ではそういう微妙な話は残念ながらできへん。
あいまいに笑いながらあたりさわりのない話をするだけだ。
出発直前にビジネスマンらしき男が乗り込んできた。
出張らしく、ブリーフケース一つもってるだけだ。そさくさとわしの上のベッドに
登って行った。
奥のほうで家族が喋る中国語が聞こえてる。
さて、これから楽しい旅になるんやろか。
列車は動き始めた。
ゆっくりと郊外に出ていく。

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ありがとうございました。