宇陀の民宿で新米をいただく-05

「寝ていた」というのは寝たからわかるのではなくて、起きたから寝ていたことが
わかるのだ。
しかもまだ夜明け直前だ。実はあまり寝ていないということだ。
昨日の昼の事が気になっている。車のエアコンがホントに直っているかどうか自信がない。
朝ごはんはおいしいに決まっていて、実に楽しみだが、朝ごはんまで待ってから、直ぐに
家に帰ったとしてももう太陽はかなり上に上っているだろう。
そしたら、又炎天下に名阪国道を走らないといけない。
昨日のしんどさはただ事ではなかった。下手をしたら命があぶなかったかもしれない。
「熱中症」ってやばいと気がついた時は既に遅いのだ。
「しょうがない」朝飯をがまんして、涼しいうちに帰ろう。
夜はこんな事を考えていたのだ。
農村の夜明けはすがすがしい。
これで山間に朝霧が立っていたら画になるのだが、今はまだだ。
日の出は見れなかったが、周りが一気にあかるくなった。
稲穂の黄金色がまぶしいくらいだ。
「穏やかな農村と自然の豊かさが画にかけたらいいなあ」と思った。
昨日の夕方、トンボを見た。
正岡子規にこんな句がある。
「秋の穂の伏し重なりし夕日哉」
奈良の農村の景色を惜しみながら、山道を走った。
それにしてもあの飯はうまかったなあ。
朝飯が残念だ。家の人がまだ起きていなかったので米を買って帰ることもできなかった。
残念。
でも良い旅だった。

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