中国、浙江、温州、奇山、古村の旅-35、西湖、西泠印社へ

蘇堤の散歩はわいわい歩いていたらあっというまに終わってしまった。結局は
芥川龍之介の言う画舫が印象に残っただけかもしれん。

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次は目の前の小さな島に橋を渡って西泠印社へ行こうと思う。
(泠は冷ではなくてさんずいらしい)
西泠印社というのは篆刻を学ぶ人達の聖地と言えるところだ。元々、中国の清朝
末期に浙派といわれる篆刻家たちが仮の拠点にしていたところだったが、その
後、民国になってから日本の篆刻家たちの援助も得て呉昌碩を社長とする正式
な結社が設立されたのがここなのだ。今回は篆刻をやる仲間が多くて、やっぱ
り興味がある。見たからと行って篆刻が上手になるかどうかはわからんけど、
もしかしたら御利益があるかもしれん。西泠印社のある孤島に渡る前に蘇小小
の墓があった。
何かわからんけど立派な割には何もない。

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碑と石があるだけだ。

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蘇小小についても「支那遊記」に記載があった。引用してみよう。
:蘇小小は銭塘の名妓である。何しろ芸者と云う代わりに、その後は蘇小と
称える位だから、墓も古来評判が高い。所が今詣でて見ると、この唐代の美
人の墓は、瓦葺きの屋根をかけた、漆喰か何か塗ったらしい、詩的でも何で
もない土饅頭だった。殊に墓のあるあたりは、西泠橋の橋普請の為に、荒ら
され放題荒らされていたから、愈索漠を極めている・・・・・
:芥川龍之介著、「支那遊記」より。
要するに昔から何もないけど、思い入れだけは強く残っていたのだ。
いろんな人が詩に読んでいる。
沢木耕太郎の「深夜特急」にも李賀という詩人が書いた蘇小小の詩の話が出て
きてたんで読んだ事がある。
かなり変わった詩だ。美しいけど不気味でもある。不安な気持ちになるような
詩だった。
この横にあるのが西泠橋でその袂に造られたから西泠印社と言うのだ。しかし、
芥川龍之介の時代にはまだ出来ていなかったようで、「支那遊記」には何もな
いところだ、支那人の学生が反日の歌を歌ってるだけだって描かれている。
門を入ると結社の建物があって、

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この小さな丘全体が西泠印社になっていることがわかる。

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篆刻の結社らしくどちらを向いても篆字の刻印が目につくけど、関係ない人に
はなんのこっちゃさっぱりわからんと思う。

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上まで登れば景色はなかなかのものだ。

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しかし、少々飽きてきた。
芥川龍之介のことをしつこく書いたのは、この移動のあいまに何人かが急にトイレ
に行きたくなってんやけど近くにトイレはなさそうだ。急遽車道を渡って向こ
う側にあるシャングリラホテルまで行ったら安心してうんこができると言うこ
とで五つ星ホテルの中をうろうろしたときに、隣の新新飯店というのが彼が泊
まったホテルだと教えてもらったからだ。
今ではもう大分古くなってしまってるけど、格調高そうな造りでええ感じだった。
結構人気があるらしく、値段も安くはないし、予約も取りにくいと聞いた。
いつか機会があったら泊まってみたいと思う。
西泠印社では印泥なんかで良いのがあったら買ってみたいって思ってたんやけ
ど、あまり良い買い物ができる雰囲気ではなかった。それで市内まで行って、
直営という店まで行ってもらったけど、やっぱりあまりいいものはなかった。
印泥や篆刻石など篆刻に関する道具類は良い物を探すのが難しい。

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ありがとうございました。