貴州の旅ー13

風水八卦の田圃
休憩所は道から少し外に突き出してテラス状の展望台のようになっている。
お写真ポイントなのだ。その端にへばりついて一生懸命写真をとっていると、ちょっと
両サイドの視線を感じた。女の子達が土産物を売っているのだ。宿題なのだろう、教科書を
一生懸命見ながら店番をしている。何か買うモノないかなと覗きこんだら、恥ずかしそうだ。
「何か買わなければ」と思うがなかなかない。それも一つの貧しさなのだ。しかし、施し
ではなくて、参加しないといけない。ちょっとだけ買った。ごめん。
良く見ると畑の形が変わっている。
「あれは風水の八卦の形から来ているのです」
「やっぱりなあ」そんな感じの形になっている。こんなとこにも道教、風水が浸透しているのだ。
我らの運転手もガイドもこの電気自動車には乗っていない。下で待っているのだ。
そしてこの電気自動車にもガイドが乗っている。
いろいろ説明しながら走って来たが、景色に夢中で全然聞いていなかった。
この八卦の田圃はかなり興味があったが、わかったような気でふんふんと聞き流している
うちに説明は終わってしまった。結局何の事かよくわからない。
もっと言葉を勉強しないといけないなあ。
こんな形の田圃のを作って耕していたら、豊作ばかりで金持ちになるんやろか?
又は、この中で毎日働いていたら、良い子を授かるんやろか?
どんなご利益があるのか興味深い。
なんだかんだと考えているうちに電気自動車は丘の上を通りきって下り始めた。
降りたところでぐるっと回って、今度は下の道を通って元に戻ると言う周回コースに
なっていたのだ。
下に下りると、八卦の田畑が目の前だ。
畑を焼く煙がたなびいている。如何にも長閑な山村だ。
摩詰先生の詩を想い出した。

山下の孤烟は遠き村
天邊の獨樹は高き原
一瓢 顔回の陋巷
五柳先生 門を対す
中国詩人選集、「王維」 都留春雄注より

そうか、あの山の奥には陶淵明が住んでいるかもしれないのだ。
訪ねて行って画を画かせてもらわなくては。