しばらく前に与謝蕪村の話をした。与謝蕪村の本を読んだきっかけで色々興味
が湧いてきた。与謝蕪村は晩年に京都、島原花街の「角屋」と言うところに入
り浸って散々芸妓遊びをしたあげく、そこの女将に気に入られアトリエ代わり
にそこで画を描いていたと言う話だ。
その「角屋」が今も残って公開していると言う。しかも蕪村の画も残っている
と言うではないか。それなら是非とも行ってみたいものだと調べて見たら、公
開はしているが2階を見る場合は予約制だとある。そんならしゃあない予約し
て行こう。
後でよう調べたら蕪村が居たのは「角屋」ではなかった。「富永楼」と言うら
しい。でもまあ似たようなもんやんか、「富永楼」ちゅうんは今はもうないし、
蕪村の画が見られて雰囲気が味わえるんやったら大差ないとしておこう。
京都駅まで行った。市バス205番に乗ったらええらしい。バス停で待っている
京都観光の外国人が多い。さすが京都や。英語の路線案内図ないか?って聞い
てる人がいた。バス停には旅行者対応のおっちゃんがいてちゃんと渡してあげ
ている。ええね。梅小路公園前と言うところで降りるとそう遠くはない。
おお、早速蕪村が出てきたやんか。
島原花街へ到着。
その一角に角屋はある。
2階見学の予約時間がくるまで1階を自由に見とってねと言うことだ。
座敷で飲んでたらこんな方が出てきはったんやろか?
よろしなあ。
ぶらぶら回ってると一番奥まで着いた。
そこに係員の人がいて説明してくれるそうな。
花街と言うのは遊郭とは違うのやと説明の人が強調してはった。
綺麗どころを集めて宴会を主にするのが花街で、文人墨客の集うところでもあ
ったとえらい強調してる。
そうは言うてもお楽しみはなかったんやろか?
幕末には新撰組がようきて楽しんだりあばれたりしてたんやそうな。
新撰組の屯所が近くにあったんで彼らは入り浸りやったんやそうな。
こんどからつけはあきまへんと言うみたいな証文まであった。
肝心の蕪村はどこや。探すと1階には梅の花が。傷みが激しい。
やっと時間が来た。2階に行ける。
係りの人の先導でゆっくりゆっくりと見学だ。
丁寧に詳細に説明してくれはる。撮影禁止だ。
もうええから、ちゃっちゃと蕪村を見せてと思うがそう勝手にはできない。
広い座敷を順番に回って、やっと蕪村の画がある部屋に来た。
すばらしい。
「雨中山水図(記憶が正しいかな?」とある。
多分、あの有名な夜色楼台図なんかと同じような時期に描かれたんとちゃうや
ろか? 雰囲気は竹林茅屋図に良く似ている。雨に煙る笹林の中を旅人が歩い
いると言った感じの画だ。これも傷みが激しくてもう消えかけてる。
それでも柔らかい雨の優しさが良く出ていると思えた。
残念ながら落書きがある。酔客がいたずらしたのだそうだ。
誰でもお金を出したら飲み食いできる宴会の場に国宝級の画がさりげなく襖に
描いてあるんやから考えてみたらたいしたもんやないか。
と思うまもなく、説明が一瞬で終わって次ぎの部屋に行くではないか。
ちょっと待ってくれ。後の説明はええからここにおらしてくれとお願いしたけ
ど、相手にしてくれへん。泣く泣く後に続いた。
もうここまで傷んだら遅いかもしれんけど、こういう画は美術館に寄贈してき
ちんと保存して皆に見せて欲しいものだ。
帰りのしだれ桜がえらいきれいだった。
という季節の話。
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