高野山へ登る

海南で酒を買ったあとは、高野山に登るのだ。
といっても登山ではない。和歌山だけかもしれないが、真言宗の習慣で葬儀が終わったら
分骨を高野山に納骨するのだ。これを骨のぼりというのだそうだ。
途中で山中の道端にお弁当をおいたりするのは熊野で聞いた風習と同じだ。
なんだかんだで高野山に着いたら、車を置いて、杉の大木の間を奥の院に向かう。
有料道路も無料になっているし、駐車場も無料のようだ。
外を歩くと気温が一気に下がったかのようだ。体感温度で5、6度は低い。
木立と葉の緑で空が見えないほどだ。マイナスイオンもたっぷりある。
パワースポットとしての気も十分だ。
道の両側は歴史の教科書に出てくるような超有名人の墓石が立ち並ぶ有名な道だ。
古いもの新しいもの巨大なものこじんまりしたもの。凝ったもの質素なものいろいろだ。
清々しい気持ちで歩いていると、騒がしい一段がいる。ボランティアかプロかわからないが
この参道をガイドする人がいるのだ。
「あっちは今テレビで話題のお江さまの墓やで、高野山で一番大きいんや」
「こっちは、○○さんの墓やで・・・、△△さんの墓はあの向こうや」
とうとう、墓地までガイドが出る時代になったのかと驚いた。
日本各地から観光や修学旅行で来ているのだ。海外からの観光客も多い。

納骨の手続きは実に簡単だ。受付に持って行ってお金を払うだけだ。時間がくれば読経が始まる。
「お金の無い人は納骨もできない?」そういう事に対する配慮はあるようだ。
それにしても葬儀から今日までに感じたのは、
「死ぬにも金がいる」ということだ。
葬式だけでなくて、仏事に思わぬ金がどんどん出て行く。
勇気をもって、「やらない」と決めれば済むものも多いが、自分のことならそうできると
しても故人のこととなるとなかなかその勇気がでない。
仏教などの宗教が、いまの暮らしのなかで形式的になってしまって、葬式や結婚式、法事
くらいのつきあいになってしまったから、信じる心と連動しないお金の動きに納得できない
という気持ちになってしまうのだ。
面倒だから避けてきた問題に直面してしまったという事だ。
下まで降りるとやっぱり夏は暑い。こういう日は暑さがこたえる。
まだ行事が残っているからがんばろう。

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ありがとうございました。