「これがあの『長恨歌』の『春寒くして浴を賜う華清の池・・・』と詠われたあの華清の池か。」。
『長恨歌』は白居易が、玄宗皇帝と楊貴妃の恋を歌った美しい漢詩で、若い頃は、この長い長い詩を暗記していました。それで、この舞台になった華清の池はかなりの思い入れがあって見たかったところなんです。
「イメージちゃうなあ」、「これは、作りもんすぎるで・・」
あまりにも詩情がありません。
ごちゃごちゃと建物が一杯です。無理やり作った、つくりもんの記念建築ばっかりみたい。
何故か寂しい気がしました。
と、いうのは、大きな誤りでした。
帰った後に知ったのですが、ここは、本物の温泉地だそうです。
我々が、城之崎とかへ行った時にちょっとお金を払ったら簡単に温泉を利用できるように、ここでも、そういうことをやっているそうなんです。
しっかりとした、入浴設備が揃っていて、低料金で利用できるんだそうです。
「玄宗皇帝とか、楊貴妃が遊んだ温泉場で湯に浸ってきたんだ」とかいうとなかなかおもしろいじゃないですか。
ロマンとか詩情だけで、仰々しく記念の建物をつくられても、面白くないけど、温泉とか、風呂とか現実の営業があったりしたら、これは愉快です。
そこまで、知らなくて、その実情をしっかり見てこれなかったのは、非常に残念でした。
風呂に入ってきたらよかったです。
でも、毛沢東の長恨歌が大きな壁に彫られていたり、国共合作時代の西安事件の記念館があったり、温泉宿があったり、ごっちゃ混ぜで、なんかようわからんというのも中国らしくていいですね。
長恨歌は、本当に美しい詩です。
毛沢東は、これを江青にささげたのでしょうか。
確かに中国の人たちは、詩が好きですね。学校では、我々は漢文の時間に漢詩を少し習うだけですが、彼らは、当然ながら、国語の時間に習うのでしょう。いろんな人が、いろんな場面で披露してくれます。
『長恨歌』の終わりのところ・・
七月七日長生殿
夜半無人私語時
在天願作比翼鳥
在地願爲連理枝
天長地久有時盡
此恨綿綿無盡期