異国での孤独

先日、会社の帰り、電車に乗っていたら、中国語のお喋りが聞こえます。最近は好くある事です。若い女性達なんかもいて、中国で程ではなくても声高にお喋りしているのに時々出会います。ちょっと内容が分かったりすると嬉しいものです。
今回は、男の声でした、隣の席だったので、二人連れかなんかで、一生懸命喋っているわって思ってました。
でも、よく見ると、一人なんです。
一人で、ぶつぶつ言っています。
二駅すぎても、三駅すぎても、延々とぶつぶつ言い続けです。
大きな声でもないし、過激な内容でもありません(よくわかりませんが)。
何か簡単な事をぶつぶつ言ってます。
推測ですが、多分、孤独とストレスで思わず、自国語を喋っているのだと思います。私は、異国にいても、本当に一人ぼっちで孤独になった経験がないけれど、もし、そうなったら、何日も、何日も日本語を聞くことも喋ることも出来ない日が続いたら、ぶつぶつと独り言をつぶやいているかもしれません。
「異国での孤独」を感じた次第です。

中国で、電車の中の面白い話をひとつします。
上海で友人達と地下鉄を待っている時のことでした。
電車が入ってきました。結構満員です。
入ろうとすると、中から大きな荷物を一杯担いだおじさんが出てきました。
その人は降りようとした寸前に、駅が違っている事に気付いたようです。
周りの人に聞き始めました。
違いが分かったら、次はどうしたらよいかです。
どんどん話しています。
時間がどんどんたっていきます。私はこの館に、すきまに無理やり入りました。友達はまだは入れません。他の人も入れません。
しばらくすると、いきなり地下鉄の扉がしまりました。
日本だったら、ブーとか音が鳴って、構内アナウンスもあります。
そういった合図をきっかけに、そういう辞退の関係者は態度を決めていきます。
場所をゆずる人、無理に入る人、あきらめる人などです。
そんな前置きもなく、いきなり閉まりました。
でも、あんまり非難の声はあがりません。
まだ、話は続いています。今度は世間話になっています。
どこかにいくんだとか、何しにいくんだとかいった事のように思います。
次の駅にとまりました。でも、場所は空けません。
まだ、話しています。乗れない人もいます。
また、扉がしまりました。
私が目的地につくまでは、そんなふうでした。
友達は後の電車で着ました。
やはり、「全然違う国なんや」、「考え方の根底が違うんや」とつくづく思いました。公衆道徳の何かが欠けているとか(それはそうなんやけど)いう単純な話ではなくて、価値観の基準がどっか違うという事なんやと感じた次第です。

こういう世界どっぷりから日本にやってきたんだったら、孤独はつらいやろうなと思います。

densya061126

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