久しぶりに北京の瑠璃廠をぶらぶらしていた。今回は旅の最後に1日とっておいたので
時間がある。ゆっくりと探し物をしよう。
昔、「ラストエンペラー」という映画を見たことがある。最初の頃、わけもわからず
皇帝になってしまった少年が、蟋蟀で遊んでいる場面があった。卓上の調味料入れ
ほどの大きさのものを手に握りしめていて、なんだろうと思っていたら、中から
蟋蟀が出て来たのだ。それは蟋蟀を入れておく小籠だったのだ。そうやって飼って
おいて時に闘わせる事もあるという。というより闘わせるために飼っておくのだそうだ。
子供向けではなくてそれは大人の楽しみだそうだ。中国ではそういう遊びもあるのだ
ということを初めて知った。
昨日話をした「上海メモラビア」にも出て来る。ある里弄で骨董屋を冷やかす話だ。
昔の大家の墓から盗んで来たという蟋蟀缶を高く売りつけようとする話だ。
先日紹介した水上勉の「北京の柿」というエッセイにも出て来る。
老舎夫人を訪ねて老舎の思い出話をしていたら、蟋蟀缶の話になって、日本に帰ったら
老舎夫人から想い出の柿と蟋蟀缶を送って来たとという話だ。
そんな事もあって、もしかして北京で骨董屋に行ったら売っているかもしれないと
思って探してみたのだ。
たまたま見つけた骨董屋に入った。
「蟋蟀缶ある?」ときくと、「あるよ」という。
まさかいきなりあるとは思わなかった。
「見せて」というと、出して来た。想像どおりより少し大きい。手に持ってちょっと
はみ出すくらいだ。胡椒挽きを少し大きくしたような形で、蓋がねじでしまっている。
その蓋に穴があいていて、まあ、これは空気穴だろう。中はもちろんがらんどうで
穴は開いていない。
「ふーんこんなものだったのか」としげしげと眺めていると、
「これは瓢箪を加工して作ったものだ」と言う。なるほど、見た感じや手触りが
少し違う。「瓢箪で作るというのが大事なんだ」といったようなことを盛んに
いうがよくわからない。
「古いものか?」と聞くと、「そうだ」という。
「いくら?」と聞くと、「300US$だ」という。
「これはあかんわ。外国人からぼったくる店だ」と思い、買う気をなくした。
「高いよ」というと、瓢箪から加工するのは随分難しいのだと言う。
「さっき古いものだと言うたやんか」と思うが、買う気はないから追及はしない。
「まけてよ」、「幾らやったら買う?」と言うから、「100元やなあ」というと、
そっぽを向いてしまった。
面白い物を見つけたが、3万円程も出して買う気はしない。
残念だが、又機会を見て、骨董屋を探してみよう。