着陸まであと10分というアナウンスが流れた。
北京を朝8:30に出て、約5時間。乗るまでは、うかつな事に昆明経由のフライトだとは気がつかなかったが、3時間プラス1時間の長旅になってしまった。
しばらくすると機は降下を始め、窓の外にはいつもの中国とは違う景色が見え始めた。まわりを高山に囲まれた、山間の長閑な山村に降りて行くという感じだ。
機内は中国でも夏休み中とあって、中国人の観光客、欧米人の観光客などでほぼ満席だったが、フライトに疲れたのかいつもの賑やかなお喋りもないようだったし、着いてから席を立つとき、両手に抱えきれない程の荷物を我先にと降ろす、あの喧騒も殆どなかった。最近は手荷物の制限が厳しくなったようで、5kgという制約を皆守っているのだろうか、そうだとすれば、そういう事を徹底させるすごさというのも相変わらずだと思ってしまった。
初めての麗江の街。私の頭の中は、テレビや映画で見た、古ぼけた街並みと曲がりくねった石畳の道だけど、タクシーの窓から見える現実は普通のビル、コンクリート道路が続いている。これでも人口100万の街ならあたりまえだろう。
麗江古城地区に入っていくと、石畳がある。疎水がある。
古ぼけた家々がある。屋台がある。
旅人に開かれた生活がある。
確かに見て感じたかったのはこういう風景だった。
昔、何かの本を読んでいたら、麗江はタイのバンコクなどと並んで、バックパッカーが居ついてしまう書いていた。
それほど、物価が安くて、人あたりが優しくて住み易いところだということだった。それで、居ついたら離れられないということだけど、今はどうだろう。
確かに、長期滞在風の旅行者が多いように見える。
古城地区をそぞろ巡るのを愉しんでいるように見える。
しかし、どうにもならず、ここに居ついてしまった、居つかせてしまったという感覚があるようには見えない。
昔は、そうだったかもしれないけど、今は、そうではない。
それは、修復して、保護して、保存して居る中で、現実の生活感がなくなってしまったからだと思う。風情があっておもしろいけど、生活の匂いがない。それが少し寂しい。
やはり、つくられた世界、隔離された観光の地域という意味合いが強くなってしまっているのだ。その分、清潔で安全になっているのは、それはそれで好いことだと思うが、バックパッカー達の溜り場にはならないだろう。
街の中は土産物屋と食べ物屋が圧倒的に多い。
道に縁台を出して、新鮮な材料を並べ、それを料理して食べさせるという趣向が多いようだ。
ぶらぶらして行き着いたのは、刀削麺の店。
時分も過ぎていたけど、「麺ある?」と聞くと、「あるよ」。
「じゃあ、冷たいビールと刀削麺、水餃子」。「好」。
ということで暫く待っていると、「麺を削る職人がいないよ、普通の麺でもいい?」という話。「いいよ、問題ないよ」という事で食べた昼食は普通に美味しかった。普通のものが普通に美味しいというのも大事なことだ。