蘇軾の詩に、「題西林壁」というのがある。
横看成嶺側成峰
遠近高低各不同
不識廬山真面目
只縁身在此山中
言葉も分り易いし、イメージも分り易い。
廬山は山容が大きく、尖った峰峰が沢山あるし、大きさもまちまちでそれぞれに趣があると言える。
俯瞰して看ればそう見える山も、中に入ってしまえば全容は見えず、それぞれの風雅を味わうしかないという意味だろう。
中国語の老師によれば、最後の2行、不識廬山真面目 只縁身在此山中は、成語となってしまって、「渦中に入ってしまえば全容が見えなくなる」という例えに使われているようだ。
こういう詩は学校で習うからといって、若い老師はこういう詩だと、すらすらと読みもするし、書きもする。
廬山は1年365日の内、190日以上が曇っているそうで、雲と霧の名所だそうだ。だから雲と霧と奇岩の山で表現される、詩や画や映像が一番多い。
まあ、要するにそれを見に来たわけだ。
それにしても、全容がわからないながら中にいても、面白い景色が沢山あるものだ。