熊野街道の続きを歩いてみよう。
前に大阪天満橋あたりにある八軒茶屋趾から住吉大社まで歩いた話をした。
都会の裏通り、なんの変哲もない普通の道やけど、実は昔からある道なんやと思ったら何だか面白かった。
それからしばらくたったけど、こんどはその続きを歩いて見ようと思う。
時間をかけて、予定をたてて全部歩き通すとか考えると面倒な話になる。
気が向いたらちびちびと繋いでいこう。
今回は住吉大社あたりから、仁徳天皇陵あたりを歩いてみようと思う。
距離にして10km強くらいになるやろか。前回は少々多めだったんで今回はちょい減らしてみる。
では歩き始める。
九度山から住吉大社のあたりまでは、わりと簡単に行ける。
南海高野線に乗って、堺東で急行から各停に乗り換える。
朝の通勤時間帯は結構混んでいて、途中から乗っても座れないことが多いけど、堺東からはなぜかわりと空いてるんでありがたい。
天気は曇り、わりと穏やかな1日になりそうだ。
駅を出ると、すぐに熊野街道に出る。
ここは前回に通ったとこやからすぐにわかる。
しばらく歩くと、熊野街道の案内碑がある。
ここを右に曲がると住吉大社だ。
住吉大社は歴史ポイントではあるけど、前回お参りしてるんで今回はパスする。これまでもなんだかんだと何回も来たことがあるんであんまり未練はない。
そのまま熊野街道を南下する。
と言うても今ではこの道は裏通り。
人通りも多くない。
さらっと通り過ぎたけど、今になってちょっと後悔してる。
「一休禅師牀菜庵跡」
この、「哀愍寺(あいみんじ)」というお寺をすぎてすぐに左に曲がったら、「一休禅師牀菜庵跡」があったはず。
今度行く時は必ず寄ろうと前回終わった時には決心してたはずやのに、この時はころっとわすれてた。残念。
一休宗純は後小松天皇の落胤と言われる人で、京田の辺酬恩庵一休寺には行った事があるけど、確かに菊の御紋があったような。応仁の乱の頃の一時期、こちらの仮住まいしたことがあって、その時に住吉大社近くにいてはった若い美人の尼さんと恋仲になって一緒に暮らすようになったらしい。唯我独尊、独立不羈、自由奔放の人であったらしい。
なんとも羨ましいけど、この人の漢詩集「狂雲集」を読んでも、確かに考えは自由奔放やけど、あまりにも難しくてついて行かれへん。
宇宙人みたいに賢い人であったに違いない。
わしらは露知らずに先に進む。
すぐに長居公園通りに出会う。
もう少し先に進んで、沢ノ町の駅の近くに来たら左に曲がる。
というても駅は見えへんから地図で確認が必要。
どこに寄り道するのかと言うと、「止止呂支比賣命神社」というところだ。
「止止呂支比賣命神社」。
南海高野線の踏切を渡る。
この路線は本数が多いんで結構な確率で踏切が降りる。
渡るとすぐに神社の森がある。
なんとなく由緒正しげな雰囲気のお社だ。
見た目以上に広い境内がある。
大きな楠木がのびのびと手足を伸ばしててとても姿が良い。
いろいろと由緒のある神社らしいけど、熊野街道には関係ない。
関係あるのはこの碑ということみたい。
「後鳥羽天皇行宮趾」。
後鳥羽天皇が熊野に行幸された時に仮の行宮を作ったということか。
確認したら、熊野街道に戻る。
帰りは踏切待ち。
昔、ずっと以前、踏切待ちで大変なモンを目撃したことがある。
こんなんは二度と見たくない。
・・・・・
てなことで先に進む。
今回歩いたコースの地図。
今回の旅をユーチューブ動画にしました。ご覧下さい。
ブログランキングに参加していますよかったらポチンとお願いいたします。