113、ラストエンペラー、愛新覚羅溥儀と婉容が暮らした静園。

溥儀と婉容の故居に行ってみる。

水墨画留学の時の杭州暮らしをコロナ妄想的に振り返る話が続く。 天津では、どうしても行ってみたいとこがあった。 確か、清朝最後の皇帝、愛新覚羅溥儀と婉容が暮らした家があるはずだ。ここで一時暮らした後、日本の傀儡皇帝となって、満洲国に行ったのだ。 しかし、時間がなくてあんまり調べへんまま来てしまった。 ともかくタクシーに乗って、あんまり通じへんまま「溥儀、溥儀」と繰り返す。 タクシーの運ちゃんもはっきりわかってへんまま、らしきところに下ろしてくれた。 しかし、そこではない。 道行く人たちにも、「溥儀、溥儀」と連呼しながらなんとか辿り着いた。

溥儀の名前は日本でこそ有名ではあるけど、中国の人にとっては、それほど関心高い名前でもなさそうなのだ。

一旦皇帝の座を追われて、波乱の暮らしを送っていた溥儀さんが、一転、日本に、策略、謀略のためかなんだか、担がれて、復位の希望を持ちながらここに暮らしてたんやろか。

ここで、皇后、婉容、側室、文繍と暮らしたらしい。

そして、やがて文繍とは別居離婚に至る。

文繍は、前代未聞、皇帝の婦人自らが離婚訴訟を起こし、離婚を勝ち取ったのだそうだ。

そういや、そんな本を読んだことがある。

もうだいぶ前やけど。

 

 

浅田次郎の「天子蒙塵」というやつだ。 満州国建国前夜の頃の天津の緊張と、混乱と退廃の空気が「蒼穹の昴」以来の連作のなかで、 イキイキと立ち上がってくる。 とても、面白い。興味深い。

 

さて、溥儀さんも婉容さんも、ここで幸せに暮らしてはったんやろか?

何となく、ひっそり感というか、暗いというか、華やかさにはほど遠いような空気が感じられる。

皇帝につきもののキンキラキンの感じがうすい。

確かにええもんばっかりに囲まれてるんやろけど、質素感は否めない。

溥儀さん繋がりで言うと、前に長春、昔の新京に旧満州国の宮廷跡を見に行った事がある。 さすがに、ここでは、もう少し煌びやかさはあるものの、中国につきものの、ぶっとんだ豪華さというものはなかった。 所詮傀儡やから、しらっとした感じが漂っていた。わしの偏見かも知れんけど。 それに、これは偽物の政権やという、中国政府の説明やら看板やらで、肯定的な記念物というよりは、 負の遺産というツッコミがわしら日本人の気持ちをザワザワさせるようであった。

ここではそれほどで否定的な存在感ではないけど、地道に公開されてる。 いまでもそうなんやろか。 そうはいうものの、さすがに、調度品は紫檀か黒檀かそういう貴木が使われているし、品の良い彫刻も施されていて、高価なものであることは間違いない。

書画や骨董的な飾り物、景徳鎮の風雅な置物などなど、只者ではなさそなものは多い。

紫禁城のあったお宝の一部が持ち出されているんやろか。

ピアノなんか弾いてはったんやろか? それとも飾りか?

寝られへん夜もたくさんあったんやろか?

悩ましい人生のあとが窺える。

 
あじあん
知らんけど
静園の地図
あじあんじゃんくしょん
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