ベトナム、ハノイ、マイチャウ、モクチャウ高原の旅−09、ヴァンロンで手漕ぎ舟に乗る。

土手の上から下をみると船着き場が見えた。ノンラー(すげ笠)をかぶったおじさん
おばさん達が待機してはる。土手の上はえらく暑いけど、舟の側までいったら涼しい
風が吹いている。

ちいさな手漕ぎ舟やから二人ずつに別れて乗る。川やと思ったけどもしかしたら湿原の中に
いるのかもしれん。水は確かに流れているけど急ではない。

川面には葦や水草が生い茂っているそのあいだの水路をゆっくりゆっくりと進んで行く。

片側は土手が続くけど反対側は山が見える。其の山はただものではない。桂林ほどでは
ないけど結構な奇岩、奇山が続いている。

その山の間に入っていく。

だんだんと静かな世界に入っていく。
ゆっくりと漕ぐ櫂の音と水の音だけが静寂の中で聞こえるだけだ。

時々おばちゃんがボソボソって喋りはる。気を利かして何やら一生懸命説明してくれようと
してるんやけど何言うてんのかさっぱりわからん。こんな時に言葉ができたら
とてもええのになあって思う。
おばちゃんは全然力入れてへんように悠々と漕いでるけど実は結構しんどいんやと思う。
喋りながらたらたらと漕いだ方が楽やと思うけど、わしらが相手できへんから気の毒や
と思う。わしらも話題がないし、何となくおしゃべりする空気でもない。
時々ボチャンと音がするのは魚がはねているみたいだ。水はとても美しい。
ようみたら川藻がゆらゆら見えるし、最中が泳いでるのも見える。
こういうところは夜になって月が出たらとてもええ景色になると思う。
てなことでこういう場面では蘇軾の「前赤壁の賦」というのを引用してみる。
なにもこんな詩がすらすら諳んじられるほどカッコええ知識を記憶力とセンスを持ち合わせてる
わけではないんやけど、なにやらムニャムニャとこんな感じの詩があったなあって
おぼろげな記憶だけをたよりに帰って本を見てブログの上で結びつけるという
わけだ。
::::
しばらくにして、月 東山の上に出で、斗牛の間に徘徊す。
白露 江に横たわり、水光天に接す。 一葦(いちい)のゆくところを
縦(ほしいまま)にして、万頃(ばんけい)の茫然たるを凌ぐ。
浩浩乎(こうこうこ)として虚により、風に御して、其の止まる所を
知らざるが如く、飄々乎(ひょうひょうこ)として世を遺(わす)れて
独り立ち、羽化して登仙するが如し。
::::
風が吹いたら仙人になって羽を広げて飄々と逍遥しよう。
そんな気持ちに慣れたらええなあという話だ。

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ありがとうございました。