一通り街の様子がわかったんでスケッチに行こう。とりあえず又橋を渡って
対岸のお寺のある丘に登る。お寺のお堂の中でスケッチしたら雨に濡れずに済むんで
快適だ。
しかし、お堂のテラスは絶好の観光スポットでもある。おりからの中国人観光客が、
地元やから当たり前、次々と通り過ぎる、通り過ぎるだけやったらええんやけど、
ジロジロ見て行く。見て行くだけやったらええけど見ながら批評をたれてはる
人たちもいる。子ども達は話しかけようとしてくる。
ほっといてくれ!
いや、ちょっと見て欲しい気持ちもないではない。褒めてくれたらなお嬉しい。
物事は複雑だ。
折角の風景も見飽きてきたんで下に降りる。
次は橋のあたりを描いてみよう。
中国の古鎮によくあるお堂付き、3階建のソリ屋根付きの橋だ。
おや、人だかりがしてる。
通り過ぎようとしたら何かおかしい。じっと動かへん人形みたいなのが立ってる。
けど人形ではない。わかった。人間が扮装してるんや。
顔も手足も真っ黒に塗って、清朝の時代の道学者みたいな服装を着て、じっと立ってて
時々、パントマイムみたいピクリと体のどこかを動かす。
簡単に言えば大道芸の一つみたいだ。
写真を撮りたい、一緒に写りたい人をつかまえていくばくかのチップを稼ぐ人のようだ。
一気に興醒めしてそばを通り抜ける。
中国の観光客はこういうのが大好き見たい。順番に写真を撮ってはる。
わしらは又市街地に向かう。
とある展示館を見つけた。なにかこの街の昔の様子を展示してるらしい。
無料みたいなんでするっと入ろうとしたら身分証をだせと止められた。あわてて
パスポートを取りに戻ってやっと入れてもらう。
鎮遠の昔の様子が写真に撮られている。今、撮れるはずがないんで昔撮られたやつだ。
そのころ写真をとる技術がこのあたりにあってそれを駆使した人がいるというのも
驚きやけど、この風景はすばらしい。
いまこういう風景に出会えたら、わざわざ遠くまで旅をしてきた価値が大いにあったと
いえる。
こんな風景やったらいくらでも絵に描きたいし、そのためにここに逗留したいとさえ
思うと思う。
綺麗になった街並みをみるよりはこっちの方がはるかにいい。
でもまあ、人々の暮らしを思えば、だんだんと今みたいになっていくのはやむを得ない
ことやと思う。
いつまでも極端に不便で不衛生な環境では暮らしていかれへん。
郷愁は郷愁、生活改善は必然だ。
世の移ろいは止められない。
と言いつつ、今の風景も悪くはないんやけどね。
あれを見てしまうとね。
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ありがとうございました。