表通りにはお店しかないけど、裏通りには生活と哀愁がある。
どの家も歴史がありそうやし、規模も小さくない。そやけど殆どが崩壊寸前の
ようにも見える。日干し煉瓦で作ったような壁と瓦屋根と板壁がそろそろ朽ち
始めてるかのように見える。ふと左をみると家の壁に寄り添って手をポケットに
入れうつろな顔をしたおじさんがいる。何か悩みがあるのか? もしかしたら
昼飯にラーメンを食うかチャーハンを食うか決めかねているのかもしれない。
家の奥にチラッと見える老夫婦も優しい笑顔ではあるが服装は見すぼらしい。
ずんずん奥の方に行ったらガイドさんがいた。
ある古い家の人と交渉して中を見せていただけることになったそうだ。
この奥に見える家だ。
相当痛んでるけどとても良い家だ。
中には四合院風の坪庭もある。
中国人の伝統的な趣味である鳥籠もかかっている。
暮らしは豊かではなさそうやけど、みなさん豊かな佇まいをしてはる。
昔から代々続く名家の流れらしい。若い人も居ればお爺さんやお婆さんも居てはる。
昔ながらの大家族で住んではるらしい。
どういう時代からどういう暮らしをしながらこの家が残ってきたのかというような
事をいろいろ説明していただいた。申し訳ないけどころっと忘れてしもた。
多分、茶葉古道の村やから茶やそれにまつわる流通の仕事で財を蓄えてきた家柄
なんやと思う。栄枯盛衰ままならずということなのだ。
玄関の門もよう見たら只者ではない感じだ。今は剥げてしまってるけど元々は
煌びやかな彫刻が施されていたのだ。上にも立派な看板があったらしい。
いろんなものが無くなってしまったとしても、きちんと吉祥の言葉を選んで対聯
やお札を曲がりなりにも作ってつけておくという習慣はなくさへんという矜持を
保ってはるんやと思った。
こういう暮らしぶりを素直に見せていただいてとても嬉しかった。
ちなみに小口を入ってすぐ左側は厨房のようだ。こんなとこでご飯を作っていただいて
食ったらとても美味しいやろなあって思った。
いつかチャンスがあるといいなあ。
そんなこんなで居座り始めるとキリがないけど、まだ先が長い。今日中に西双版納
まで行き着かんとあかんのだ。そろそろバスのある入り口まで戻ろう。
おや朝市のあったテントの横にもええ感じのお家があるではないか。
これは素晴らしい。この方はこの家の持ち主なんやろか?
あるいはここを壊して新しい建築物を立てる方の人なんやろか?
写真撮ってもええですかって聞いたらええよって言うてくれた。
こういう暮らしはいつまでも保存しておいてほしいなあ。
旅人のただのエゴやけどなくなると寂しい。
さて、バスに乗って次に行こう。
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ありがとうございました。