注:これは震災の直前にネパール旅行をしたときの旅行記です。一日も早い
復興を心より祈念致します。)
その道を下ると、大体地図のとおりに道が展開する。これでええんやと安心
する。ここから先は農家の裏庭の様な道が続く。
有るときは表通り、
有るときは山羊や羊や鶏の遊び場、
有るときはどっかの庭先か庭かわかれへん。
狭い道が多いし、どこが分岐かも分かり難い。
地図を何度も見ながら確かめつつ歩く。残念ながら地図には等高線がないんで
勾配の加減がわからんから検討がつきにくいときもある。
滅多に人は通らへんけど、時々すれ違うこともある。
又、たまに人家の前を通るときもある。
そんな時に、「ナマスティ」って向こうから声がかかったり、こちらから声を
かけたり、挨拶するのが自然にできる。ええ感じだ。
道が不安になったら、「チャングナラヤンはどっちですか?」って聞く。
大抵の人は、「あっちよ」って指さしてくれる。
時には思ってた方と違う方を指さすんで、聞いてよかったと思う。
時々立ち止まって、地図と景色を見比べて確認する。
今のところ間違いはないようだ。
向こうから子ども達がやってきた。どうも学校が終わったようだ。
??。まだ10時ころやのに、もう終わった?
もしかしたらこれから?
どこの国も子どもは元気だ。わしらに好奇の目を向けてくる。しゃべれたらえ
えのになあって思う。
この道はとてもいい。こんなところを歩きたいって思っていたと今わかった。
尾根道だ。そやから右にいっても谷に下って行く。左に行っても谷に下って行
く。切り立ってるわけではないけど、それほど広くはないんで、谷を見下ろす
景色が右になったり左になったり切り替わっていくのが面白い。
谷の下には大きな大きなそして広い広い棚田が作られている。どこまでも人の
営みがある。
歩いてたら暑いけど足を止めたら木陰が多いし谷を渡る風が涼しい。
不思議な事に家があるところは固まっている。バラバラに別れてたら自分の分
が広くなってええやんかと思うけど、そうではないみたい。
人間ってやっぱり隣に人がいてへんと落ち着かへんのや。
この道は自動車道とつかず離れずに平行しているはずだ。そやからいざとなっ
たら自動車道へ降りたらええわと言う安心感がある。
なんちゃってるうちに自動車道へ降りてしまった。
どっかで間違えた。どうしょうかとうろうろしてるところへ若者達が来た。
中学高学年か高校生くらいの年格好だ。
「チャングナラヤンってどっちって聞くと、自動車道の先を指さす。
「山の道を行きたい」って言うと、「そんな道はない」という。
そうかこの道はこれで終わりなんかと思う。しかし、地図には道がある。
もしかしたら若者は山の道を知らへんのかもしれんと思い直し、戻ってみた。
どうもこれらしい。
ここも誰かの家の庭先みたいなところを通っていくようだ。
通りながら聞いてみた。
やっぱりこれでいい。
ここまで来たら、Telkotはもうすぐだ。
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ありがとうございました。