(注:これは震災の直前にネパール旅行をしたときの旅行記です。一日も早い
復興を心より祈念致します。)
ここからは又違った聖地になるのであろう。どこでもお寺の入り口で靴を脱い
だけど、ここは地域の入り口で靴を脱ぐ。
その前にトイレに行っとこうと横道にそれる。用をたしに中に入ろうとしたら
子どもが2人いて、金を出せという。小銭を要求するトイレもよくあるんで、
それかと思い、「いくら?」って聞いたら200ルピアという。「アホかお前は」
とつい叫んでしまった。それでもしつこく200ルピアという。英語が分からん
のやろと地面に数字を書くしまつだ。おもわずかっとなって、「トイレなんか
入らんでええわ」と言って出てしまった。帰りに入場門のところにいた係員に
トイレは金が要るのかと聞いたら、要らんと言う。金を要求されたと言うとえ
らい怒って一緒に行こうと言う。そんならと靴を探してる間にうやむやになっ
てしまったけど、彼らは自主的にカモを見つけて小遣いかせぎをしようとして
たようだ。爺さん達は甘く見られたらしい。
こんなのは哀しいねえ。
さて、中に入るとお釈迦様の生誕の地の雰囲気を作ろうと公園にも力が入って
いる。
するとあの木は菩提樹で、木の下に居る人たちは瞑想してるお坊さんたちなのか?
まさか極楽浄土をイメージしてるわけではないやろけど、雰囲気造りの構想が
もひとつわからへんところを通っていく。
左手向こうに見える建物が釈迦の生誕にまつわる遺跡らしい。
それをマーヤーの聖堂と言うらしいけどここを発掘してアショカ王が置いた釈
迦誕生のマークストーンは発見したのは日本隊だったらしい。
マーヤー聖堂は中に入れるけど、写真撮影はできない。とても厳重に監視され
ている。
すぐ横にはアショカ王の石柱がある。
その向こうに大きな木がある。その木からタルチョが一杯張り巡らされていて
スピリチュアルな雰囲気が出来ている。
木陰で座っているのはお坊さん達みたいだ。
菩提樹の下で瞑想してるという雰囲気だ。
ようみたら、瞑想というよりはのんびり座って寛いではるようでもある。
ここの周りには大きな木の下に今にも壊れそうなバラック小屋を作って大家族
が身を寄せて貧しい暮らしをしてるのがいくらでも見られる。
その違いを見てるとちょっと哀しくなる。
こいつは悟ってはるんかなあ。
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ありがとうございました。