「私はね、あの当時はロシアにいたんですよ。外交官の妻として」
「あの杉原 千畝さんの話は知ってるでしょう。あんな立場」
「でも、私たちはいろんな制約が多くて、あんな行動はできなかった」
柔和でおだやかな笑顔、ゆったりとした方だが、話している内容はすごいものだ。
「ただものではない」
有田の14代今泉今右衛門さんのお母さんだそうだ。
今年の陶器市はラッキーだった。
いつもお世話になっている有田の骨董商の方に案内してもらって、今右衛門記念館に入ったら
丁度おられたので紹介頂いたのだ。
その上、14代今右衛門さんもおられて一緒に写真をとらせてもらった。
すっかりミーハーだ。
昨日までの寒さは嘘のように今日は汗ばむ温かさだ。天気も良い。
なんどもここに来てるのに、まだ陶山神社に行った事がない。
「今年は是非行くぞ」と意気込んでいた。
有田の陶器市が賑わっている通りのちょっと裏側、小高い丘の上にある。
暑いから石段をすこしずつ登る。流石、陶磁器の神様のおられるところだ。鳥居が磁器製だ。
「おっ、狛犬も焼き物やん」
普通は石などで作られているいろんな神社のものが殆ど焼き物でできている。
そういえば、中国の陶磁器の街、「景徳鎮」もいろんなモノが陶磁器できていた。
街の信号も焼き物だった。
「景徳鎮とは姉妹都市の活動をしようとしてたんです」と言う。
「景徳鎮に有田記念館をつくろうと沢山出資したはずなのに、未だにできていない」そうだ。
今の景徳鎮ではそんな事をうまく取りまとめる人がいないのかもしれない。
境内から有田の街が一望できる。
すぐ目の下を、列車が通った。
ぞろぞろと人ばかりが目に入る。
「ピーナッツ、どこに売ってるんやろ」
去年買って帰ったピーナッツがおいしかった。
「今年も買おう」と探してたら、やっぱりあった。
「私たちが自分で煎ってる」とえらい強調してたが、帰って見たら、豆そのものは中国製
だった。まあ、そんな時代やということやね。
味は好いからまあええか。
今度は中国で沢山買ってこよう。
有田の陶器市
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