台湾、昔の日本の足跡にも出会う旅-27、太魯閣峡谷、天祥あたり

歩き終わってヘルメットを返す。こんどは何処へと訪ねたら、天祥へ行くと言う。
太魯閣峡谷観光の終点、バスが最後に止まるところだ。途中の景勝地がどうも
バスでふさがってるみたいなんでこっちを先にするようだ。
えらく広々してる。売店や食堂なんかも揃ってる。太魯閣観光は入り口から始
める代わりに、一気に一番奥まできてここから戻っていくというやりかたもあ
るようだ。
それで天祥と言う名前、どっかで聞いた事がある。
幕末モノの本を読んでたら、勤皇の志士たちが、「正気の歌」なんて詩を吟じ
たり揮毫したりしてる、その元の詩が文天祥という人なのだ。
文天祥と言う人は中国、南宋の人で、元に滅ぼされた時に捉われ、その才能を
見込まれて元朝に仕えるよう要請されたけど、節をまげず断りきって死罪にな
った。獄中で作った詩がかっこええちゅうんで幕末の志士が引用したのだ。
しかし何でここにその名前をつけたんかちゅうのはようわからん。

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このまま行くと、埔里のある南投県まで道は続いている台湾中央山脈を横断す
る交通の要所なんでかっこええ名前つけたんやろか。元々はここに住んでた少
数民族が付けた呼び名があったそうで、その方がええやんと思うけどわしが決
めるわけではない。

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「正気の歌」の全文が刻まれている。

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・・・
天地に正気有り 雑然として流形を賦く
下りては則ち河嶽と為り 上りては則ち日星と為る
・・・
こういう景色をなぞらえたんやろか。
今の世の中、節を曲げない人はおろか、節なんか無い人がいっぱいいてることを思うと
こういう人が存在したということは本当に尊敬に値するのだ。
昔の人はえらかった。

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ようわからん。
そやけど観光の要所のわりには人が殆どおらへん。閑散としてる。
タクシーの運ちゃんが盛んに木の葉を指差して、日本の○○と一緒やみたいな
ことを教えてくれてるみたいやけど何のこっちゃもひとつようわからん。
わからんでもええから先に行く。
文天祥の像のあったとこには、日本統治時代には神社があったのだそうだ。
ここにも昔の名残がある。
このまま上に上がっていってみたい気がする。

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しかし、ビュースポットのわりには、作りもん以外には殆どみるもんはない。
次ぎ行こう。

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ありがとうございました。