さて、漓江下りは3時間強の行程だと言う。それならもう半分以上過ぎた事にな
るがそんな感じはしない。似たような景色とは言いながら次々変わる、「まる
で水墨画のような景色」に気をとられるし、川面と岸辺と人の暮らしを眺めて
いるのも面白くて時間の経つのを忘れてしまう。
船の流れとともに時間がゆっくり流れる。
これくらいの時間のながれが体に優しいのだと思う。
しかし、こんな風に詩的に高尚な気分に浸ろうと思っていてもさっき呑んだビ
ールが邪魔をして集中できない。まさか水上でいたすわけにもいかないやんか。
そういえばさっきどこでも止まってええよって言うてたけど、こういう用途で
どやろ? と聞いてみると人のいない中州に接岸してくれた。ちょっと片隅で
ごめんなさいをさせてもらってやっと我に返った。
そこで対岸を見ると牛がいる。
それも一杯いるのだ。
牧場の牛に水を飲ませに来たんやろか?
それとも水浴びに来たんやろか?
背後の山の大きさと牛の群れの小ささの対比が面白い。こんなのは画になるの
だ。ちょろっと描いて見たけどこんど大きい画に描いてみよう。こんな感じは
大好きなのだ。
さて再び船に乗って先に進む。
ほんまに絵のような景色やわ。
おっと対岸にいるあのおぢいちゃんなにしてんやろ。
ちっちゃくてわかりにくいなあ。水上タクシーを乗り上げてその上の椅子に座
って休んでる? 何かそばにあるで。
今度は水上のゴミをとってるおにいちゃんたちだ。
こんな風にどんどん流れている川でもゴミを獲るんやろか?
中国でも水郷の古鎮では疎水が汚れないように舟を出してゴミをとってるから
ここもそうなんやろか?
でもこんなに水がきれいやのにそんなはずないなあ。
やっぱり魚をとってるんやろか?
もし、ごみやったらすごいことやんか。環境保護のためにここまでやっている。
中国では考えにくいけど自分達の環境やから本気でやってるんかもしれん。
さて、さっきまであった切迫感がなくなってすっきりしたんで、又、ゆっくりと
景色をみながら進もう。
目線を下に落とすと、水上にあの山の景色が映っている。
こういう景色も又、美しい。
長江下りの時も同じような気持ちになったけど、あのときは巨大な長江の流れ
をゆったりゆったりと下ることで悠久の自然とか大いなる自然とかそういう気
分になったけど、漓江下りの場合は、めくるめく自然の美しさと水辺の暮らし
を感じながらの川下りとなった。
いつまでもこうやって川に流れていたいものだ。
時よ止まれ。
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ありがとうございました。