中国を旅して、「ああ並木が美しいな」と思う事がよくある。
例えば、新彊ウイグル地区のトルファンのような灼熱の砂漠の街に行った時、それでも
村落はあって、カレーズというのか命の水のような地下の水の用水が流れていて、その用水に
そってズラッと一直線に並んだ街路樹がその長さ分だけずーと先まで木陰を作っていた。
車に乗って熱い、熱い砂の廃墟のあたりからその木陰に向かうだけですくわれたような
気になった、そんな並木もあるし、
例えば、雲南の麗江に行った時、古くて新しい麗江の街を出ると郊外にはえらく霊気の
漂う村落があって、そんな空気の中をシャングリラに向かう山道にも暗いスピリチュアルな
街路樹の道があってぞくっとした。
或いは、どこまでも黄土平原が続くような土くれ地帯に土埃のまっすぐな街道が走って
いて、その雰囲気に似つかわしいような痩せて葉がほとんどない貧相な木の並木が直列
してならんでいるようなところもあって、これはこれで味があったのだった。
えらい特別な場所があるような言い方をしているが、特別でもなんでもなくて、木は唯の木
にすぎない。どう見るかと言うだけの事だ。
北京の街の大通りの街路樹は春には柳絮が舞って
風情があるし、上海の元租界地の洋館のあるあたりの並木は建物と溶け合って独特の
風景を作っている。
ちょっとしたところに印象的な風景が一杯あるのだ。
今回の杭州は、西湖の東側の公園の緑が美しかった。
と言っても学院と街中以外はその辺しか歩かなかったからでもある。
細いしゅっとした真っ直ぐな木が入り口から奥の門に向かって遊歩道を作っている
ところがあった。その側では例のごとく太極拳を楽しむ人達がいる。
中に入ると柳が美しい。
湖と柳は良く似合う。
船がいてもいいし、鳥がいてもいい。
街の中の街路樹もきれいだ。
どの街も道路が整備される時には街路樹も植えられるようで、それはいい事だと思う。
今回は学院以外では美しい緑に沢山出会ったが、私自身の方があくせくしていて、
「ええなあ」、「きれいやなあ」と思いつつ、次の瞬間には時計を見つつあわてて
移動しているような日々であった。
もっとゆっくり雰囲気を楽しまんとあかんと思いつつも、性格があくせくしてるから
しかたないのだろう。
あじあの街角もいいけど緑の並木もいい。
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ありがとうございました。