熊野古道の旅ー14.新宮で徐福に出会った

全ての熊野古道は本宮大社に通じている。
高野山から小辺路を通る道、奈良大峰山から奥駆して山づたいに来る道、田辺から山を越える中辺路。
伊勢からの伊勢路もあるし、新宮からの大辺路もある。今回は那智から大雲取越を通ったが機会があれば
又来よう。
本宮大社にお参りしたあとは、田辺までバスで行ってから列車で帰ろうと思っていた。しかし、今日は
すべてバス移動になってしまったので早く終わり過ぎだ。田辺行きは12時半までないのだ。
「困ったなあ、どないやって時間つぶそう」と思っていたら、眼の前に新宮行きがやってきた。
「新宮まで出たらええやんか」と気持ちを切り替えてバスに乗った。1時間もかからないで着いてしまうのだ。
大阪行きのチケットを買ったがかなり時間がある。
「ちょっとぶらぶらして、そのあとで昼飯を食おか」
駅を出ると、「徐福公園」と言うのが見えた。いかにも台湾、中国風のギンギンギラギラだ。
「徐福かー?」
徐福というのは、秦の始皇帝の時代に、蓬莱にある不老不死の薬を取りに行くと皇帝に命じられたのか、
自分からいいだしたのか定かではないが何千人もの部下を連れて海に乗り出して人なのだそうだ。
出帆したのは中国山東省の青島にある「瑯琊台」と言われている。蘇州といううわさもある。
それで、流れ流されてたどり付いたのがここの新宮というわけだそうだ。
いかにも嘘っぽい話だ。公園の像も嘘っぽい。
しかし、青島も新宮もおおまじめで双方に記念碑があるし、姉妹都市になっているそうだ。

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実は前に青島に旅行に行った事がある。
その時に徐福の事が頭をかすめて「瑯琊台」まで行こうと一度は思ったが時間がなくてあきらめた。
青島というところは美しい街だ。
海辺の港町、神戸や長崎のような雰囲気を持った街だ。
坂が多い。丘の上に上って行くと、ヨーロッパ風の赤れんがの洋館が並んだ場所がいくつもある。
まるで中国でないみたいなところだ。ドイツ租界時代の公館がいくつか保存されていて観光用に公開されて
いたり、日本統治時代の建物が残っていたりする。
それに海鮮料理が安くて美味い。抜群だ。
他にもある。中国全土を席捲している「青島ビール」の大元である。
「又、行きたいなあ」

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結局不老不死の薬なんてどこにもあるはずがない。ただじっとしていて飲み食いして暮らすだけでは
何も起こらないのだ。元気で長く暮らすためにはそれなりの努力が必要だ。根拠のないことは起こる
はずがない。己をみがいて、生き様をシンプルにして何事が起こっても見苦しくなく立居振舞ができる
ようにしていかないといけない。
と、思う。

こんなとこで徐福に会えると思っていなかったが、ちょっと見たらそれはそれで終わりなのだ。
「ごはん食べよ」と公園を出て、街をぶらついても、日曜のせいかどこも店が開いてない。
「困ったもんだ」仕方ないから、もう一度公園に戻って、徐福解説担当のおばさんに
「どこかご飯食べるとこないですか?」と教えてもらった。
「この道まっすぐ行って、あの信号のとこを右に曲がったらすぐやで」
さすが地元の人だ。簡単にわかった。
飯を食って、再びオーシャンアローに乗って、大阪まで。
熊野古道の話はこれでおしまいです。

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