「ちょっとトイレに行きたいな」という気がしつつも、「まあいいや中に入ってから行こう」
と軽く考えて奈良公園の奈良国立博物館前まで来た。えらい長い列が見える。
「持つんかいな」と思いつつもタイミングを逸したのでそのまま列に並ぶ。
2重3重4重5重に折れ曲がっている。
しかし、その割にはじりじりと動いていく。1時間はかからないで中に入る事ができた。
今回の目玉は何と言っても、光明皇后が王羲之の『楽毅論』を臨書したものだ。
テレビで見た時は竹簡に書かれたもののようにも見えたが、実際は美しい紙に書かれて
いて、王者の風格がある。しかしすごい人なのでなかなかちゃんとは見えない。
そこで秘密兵器登場。予て用意の単眼鏡を取り出す。
遠くからでも細部が良く見える。裸眼で全体を見て、単眼鏡で細部を見てと忙しいが
これだけ人がいるとそうせざるを得ない。
後の目玉の、紫檀木画の中国琵琶や囲碁盤もすばらしいが、今回は小さい刀が沢山展示され
ていた。これらも鞘や柄に細かい細工が施されていて見事なものであった。
やはりこういうものを見る時は単眼鏡が威力を発揮する。
モノを見るより、人の背中を見ている時間の方が多かった気がするがそれも仕方ないだろう。
一通り見終わって、ぐるっと回って常設展の方に行く。
常設展と雖も、いろいろ工夫をこらして展示してある。
今回、目についたのは中国から持ってきた仏像だ。
東京国立博物館にも沢山あったが、北魏とかの仏教が特別盛んだった時代の仏像で
山西省の雲崗石窟や其の周辺、洛陽郊外の龍門石窟やその周辺など行った事がある懐かしい
土地から持ってきた石仏がかなりあった。
「ああ、向こうで見たような良いお顔だなあ」と思いつつ見ていたが、
どうも頭だけ切り出したような仏像が多い。
体の部分が壊れたのか、それとも運びやすいように頭だけ切り出して盗んできて売ったやつ
がいるのか、どうも後者のような気がする。
そういえば、雲崗石窟や龍門石窟、特に龍門石窟では頭のない仏像が非常に多かった。
まさかとは思うが、それが日本人でなければいいなと心が痛む思いだ。
盗掘の果てにモノが流れ流れてここまできたのならそれはそれで仕方ないが、戦争の時に
武力にものをいわせて持ってきたのなら哀しい。
そうでないことを祈ろう。
正倉院展へ
- 2009年11月15日
- 近畿地方
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