津和野の町、朝の散歩をして電車に乗る。
さて、もう一度津和野の町を巡ってみよう。
ついでに何か、ここの名物みたいなお土産? 工芸品みたいなの?
そう、石州和紙があるはず、時々看板を見かけた。
武家の町跡を徘徊しつつそういう店も探してみる。
ここは小京都と呼ばれるだけあって、独特な雰囲気があるような、
気がする。
疏水があるのも、そういう気分を高めているみたい。
良い感じだ。
しかし、歴史=古さというのはあんまり感じられへん。
歩いてるうちにちょっと目立つ教会に行き当たった。なにやら由緒があるらしい。
中に入ると、長崎浦上の隠れキリシタンの殉教跡、乙女峠にまつわるいろんな資料の
展示館になってる。
そういえば、時間があったら乙女峠に行こうかとも思ってたけど、ちょっと疲れたかな?
さて、石州和紙。看板だけはあちらこちらで目立つけど、紙漉き体験なんて言葉もあるけど、
お店は開いてない。日が悪い? 時間が悪い? 休業?
ようわからん。
お土産屋さんの片隅で商品を見つけたけど、すでにあんまり気がすすまんようになってしまってた。
さて、小京都ってなんやろ?
日本中いたるところにある。
さすがに海外はない? 中国にパクリ的なものがあるらしい?
それはともかく、似たような感興が湧くようなところはいくつか行ったことがある。
例えば、ラオスのルアンパバーンというところ。
メコン河の上流、川のほとりにある古い都跡だ。
10年前に行った時は、本当にエエとこだった。まるで小京都と思える空気感であった。
アジアの街にしては喧騒がない。
朝市やナイトマーケットの賑わいはあるけど、ワンワンと湧き立つようなうるささがない。
年中続く暑さのせいか、みなさん結構じっとしてる。
町をあるいてたら、バイクに乗れとか、トゥクトゥクに乗れとか、舟にのれとか
声を掛けてはくるけど、しつこくはない。
そして仏教の町、とても信仰厚い人たちが住んでいる。
あさ、未明から、少年僧たちが托鉢に回っている。夥しい僧たちだ。
その人たちに施しをさせていただいてる町の人たちがあちらこちらで待ち構えている。
とても厳粛でこころ清しい風景だ。
そして、お寺が多い。古い寺院がたくさんある。中に入ると、今時のキンキンの
けばけばしい仏様もいてるけど、古く汚れたお方もおられる。
顔つきは、クメール系の人を模しているのか、顎がとがったほっそりした形で
全体にシュッとしてはる。
日本やインド、ネパール、中国、みなそれぞれ違うのが面白い。
小さな町やから道路は簡単である。
それでも路地がたくさんあって、それぞれがいい雰囲気を持っている。
どこを歩いても気持ちが穏やかになる。
土産物屋さんもたくさんはないし、ごはん屋さんも少ない。
観光地の煩わしさがない。
時々ラオスコーヒの喫茶店があるのがまたうれしい。
観光客は欧米人がほとんどだ。それでもごった返すほどではない。
10年間はこんな風にとても良いところだった。
まさに小京都だ。
それから数年たって又ここに来た。
目に見える景色はほとんど変わらないようやけど、微妙に何かが変わってる。
観光化されたという表現が合ってるんやろか?
外からの人に狎れた? それは前からやんか?
経済的に厳しくなった? ようわからん。
いずれにしろ、中国の影が強くなってるらしい。
元々、メコン側の上流を支配して、物流もほとんどしはいしてるのは中国で、今や
一帯一路の流れのなかで、かの国に頼らざるを得ない、あるいは術中にはまってか、
いろんな目に見える、目に見えない影がさしてきているのではなかろうか?
よその国のことをとやかくいうことはできへんけど、おもろない国にはなって
ほしくないなあってひたすら願う。
話を元にもどす。
津和野の町は小さい。
商店街のある通りも短い。
そのうち駅に着いてしまった。
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ありがとうございました。