長谷川等伯、「竹林の七賢図」

中国でも晋の時代かそこらで、国が乱れ、秩序も何もなくなってしまったような
時代があったそうだ。うかつにまっとうな言動をしていたら、すぐに足元を掬われ
讒言されて命があぶなくなるような時代であったそうだ。だから賢い人、心ある人
達は、できるだけ直接的な表現でものを言ったり、文章を書いたりしないで、
すっとんきょうなはぐらかしをしたり、何の事を言ってるか訳がわからないような
表現をして目立つのを避けたそうだ。まるで禅問答の世界の時代だったのかも知れない。
そういう時代を代表するのが、竹林の七賢と言われる人達だったと聞いた気がするが
定かではない。
そうであるなら、「竹林の七賢図」が禅寺にあるのはいかにも似つかわしい。
「お庭にあるあの石の小橋の上に乗っている小さな石はどんな意味なんですか?」
って聞いたら、係の人は、「ああ、何でもないんですよ。ここは通れないという
印においているんです」と笑って答えてくれた。
「禅寺やから何か特別の意味でもあるのかと思ったんです」と笑ったが、
茶室の庭にもそういうのがあったり、草を結んでいたりするから、禅の心では
あるのだろう。
京都の建仁寺の両足院で長谷川等伯の、「竹林の七賢図」が展示されると新聞に
載った。それで急いで見に来たのだ。
この寺は庭が綺麗だ。建物をぐるりと回って、枯山水やいろいろな趣向を凝らした
庭になっている。
季節には、珍しい半夏生という葉が半分真っ白になる植物があって、見事だそうだ。
目指す「竹林の七賢図」は入ってすぐ右手奥にどかんと鎮座していた。
長谷川等伯は、松林図のような実に寂寞とした画を描くかと思えば、空飛ぶ仙人
のような飄逸な画も描くので面白い。
やっぱりこの画は大迫力だ。
その前に。
入口を入ってすぐのところに、えらく薄汚れた大きい軸ものがある。
良く見て見ると、「王石谷」と説明に書いてある。清の時代の有名な画家だ。
水墨画の基本のような人だ。
かねて用意の単眼鏡で見て見ると実に繊細な線で描かれている。
繊細で優しい線で村里を描き、柔らかく優美な線で山を描いている。
結局はずっとこの画を見てしまった。
好い画に廻り会えた。

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